名僧の教え5(道元) | 釈尊と共に生きる、西洲のブログです!

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法華経は釈尊の肉声の教えの経典です。あらゆる経典の中で、法華経は、別の名を
「最上王経」とも呼ばれ諸経の王でもあります。女人成仏をはじめどんな衆生も
生きるもの全てを救おうとする仏陀の方便の力は、法華経のすばらしさです。

お釈迦様が2500年前に説かれた仏教の教えは、「この苦しい世の中を、どうすればより良く生きることができるのか」という問いに、釈迦をはじめ、さまざまな時代の「名僧」が残したことばのなかから、いまを生きる全ての人に役立つ「生き方のヒント」をわかりやすくご紹介します(^^)/

 

世の中は広い!お山の大将ではダメです。


 

小さな "自分" を

捨てる

 

 

何かを学ぼうとする人が第一に用心すべきは、
「我見」 から離れることです。
我見とは、自分だけの狭い考えや偏(かたよ)った意見のこと。
我見を離れるとは、そんな自己中心的になりがちな心身に
執着しないようにすることです。

 

道元(どうげん)

 

曹洞宗の開祖、道元は著書「正法現蔵」(しょうぼうげんぞう)の中で「自分はまだ悟りの世界に渡っていないが、先にほかの人々を渡してあげたい」 と語り、実際に弟子たちの育成に努めたことで知られています。

禅の修行は道元が示した通り、自分だけが悟ればいいと考えるのではなく、逆に自分を捨て、自然と一体になることを何より大切にしています。そのために、まず離れなければならないのが 「我見」 というわけです。

たとえば、ポケットから財布を出そうとしたとき、百円玉が一枚落ちて、道路をコロコロと転がっていったとします。そのとき、百円玉から眼を離さずに、あわててそれを追う............ これが我見です
百円玉を見失うことはありませんが、コロコロ転がるそれを追うことだけに集中すると、周囲の人や物や車などに気づかず、大ケガすることもあります。

一方、我見を捨て自然と一体になった人は、百円玉を同じように「眼」 では追いますが、慌てて追いません。百円玉の動きが止まるまで静かに成り行きを見つめ、周囲を見渡して状況を把握しながら、ゆっくりと確実に拾いに行くことでしょう。

このように自己中心的な考え方や行動を捨て自分と周囲を一つにして考える心をつねに持つ

それができるようになれば、人生は好転しはじめます。 (名僧100文字の教え参照)

 

追記、太極の目(心)でもの事が見れるようになったら、ゆったりとした大きな人間になります(^^)/

仕事も家庭も人間関係も全てうまく行きますね虹

 

 

 

法華経は釈尊の肉声の教え、経典です。 是非とも、

釈尊のご慈悲を体験してみてください(西洲)

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