法華経の教えから  如来寿量品 その2 | 釈尊と共に生きる、西洲のブログです!

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法華経は釈尊の肉声の教えの経典です。あらゆる経典の中で、法華経は、別の名を
「最上王経」とも呼ばれ諸経の王でもあります。女人成仏をはじめどんな衆生も
生きるもの全てを救おうとする仏陀の方便の力は、法華経のすばらしさです。

永遠の生命を通じて私たちに呼びかけを続けるお釈迦様 ..............久遠の仏陀釈尊 ............. の声、それが「法華経」 です。現代においてもこの経典の影響の大きさには計り知れないものがあります。そこで、法華経の教えから、大事と思われるところを取り上げてみたいと思います

 

 

如来の秘密神通の力とは、宇宙の生命そのもの

 

 

法華経28品の中で、古来から四要品といわれる四つの重要な品(章)がある。その四つの品とは方便品安楽行品寿量品普門品である。今回は、如来寿量品をご説明いたします。少し難しくなりますが........... (^^)/

 

◎第十六章 如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)から

 

如来の真実の言葉

「寿量品」の冒頭は、仏があらゆる菩薩と一切の大衆に何ごとかをお告げになることからはじまる。それは、

諸(もろもろ) の善男子(ぜんなんし)、汝等当(なんだちまさ)に如来の誠諦(じょうたい)の語(ことば)を信解(しんげ)すべし

という経文である。仏はほんとうの教えを今からお説きになろうとして、このように言われた。
「如来の誠諦(じょうたい)の語(ことば)を信解(しんげ)すべし」 とある誠諦(じょうたい)の語というのは、誠心から出た真実の言葉のことである。仏が自ら悟ったことをお説きになるというのである。この「如来の誠諦(じょうたい)の語(ことば)を信解(しんげ)すべし」 を仏は三度繰り返して言われたこれは大切なことであるからしっかりと聴きなさい、という意味なのである。

すると、大ぜいの菩薩や大衆の一番前にいた弥勒菩薩が合掌して仏に申しあげた。
世尊、どうかそれをお説き下さいませ、われわれ仏の言葉を必ず信じ、その教えをお受けいたします」と。このように三たび申しあげて仏にお願いした

そのとき、世尊は多くの菩薩たちが三度お願いし、仏の教えを聞きたいという希望を認めたので 「汝等諦(なんだちあきらか)に聴(き)け、如来の秘密神通(ひみつじんつう)の力(ちから)」 とまず仰せられたのである。如来の秘密神通の力とは、如来の深いはたらきのことである如来の深いはたらきは、われわれ凡夫の知るところではない宇宙の生命そのものである仏身(ほっしん)のはたらきは無限である

仏は八十年の生涯をこの世に現れて教えを説いたのでない。この世に現れた仏は迹仏(しゃくぶつ)であって、ほんとうの仏は本仏でなければならないその本仏のはたらきは深く広いので、神通力といったのである如来の秘密神通の力とは、本仏のすばらしい力のことである本仏はわれわれの目には見えない隠されているから秘密なのである。隠されているからわからないと思うのはあやまりである。春の朝に草水が花開き、夏には葉を茂らせ、秋には紅葉し、冬には落葉するのも本仏のはたらきにほかならない。

仏が実は無限に長い過去のときより、すでに成仏していたことをあらわすために経は譬喩(ひゆ)で説明する。これに対して弥勒菩薩などは、この世は無量無辺(むりょうむへん)であって教えることができるものではない。心で考えて想像できる世界でもない。また、声聞(しょうもん)や縁覚(えんがく)がどんなに汚(けが)れのない智慧をはたらかせてみても、この世界の広大なることを知ることはできない

さらに、われわれが「阿惟越致」(あゆいおつち)の境地に達しても、世界の無辺無量であることは理解することができないと説く。阿惟越致(あゆいおつち)とは不退転(ふたいてん)のことである。不退転というのは、ある程度まで修行をつむと、決して元に戻らない境地のことである。このような不退転の位に入った人であっても、仏が説かれた広大な世界のことは理解することができないというのである
 

次回につづく

 

 

追記、 われわれの目には見えない隠れている秘密の世界。仏のみ知る世界、少しでも近づける修行をしないといけませんね (@_@。

 

 

 

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