法華経の教えから  如来寿量品 その1 | 釈尊と共に生きる、西洲のブログです!

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法華経は釈尊の肉声の教えの経典です。あらゆる経典の中で、法華経は、別の名を
「最上王経」とも呼ばれ諸経の王でもあります。女人成仏をはじめどんな衆生も
生きるもの全てを救おうとする仏陀の方便の力は、法華経のすばらしさです。

永遠の生命を通じて私たちに呼びかけを続けるお釈迦様 ..............久遠の仏陀釈尊 ............. の声、それが「法華経」 です。現代においてもこの経典の影響の大きさには計り知れないものがあります。そこで、法華経の教えから、大事と思われるところを取り上げてみたいと思います

 

 

「法華経」の核心ともいえる、この「如来寿量品」 において、真実が語られる

 

 

法華経28品の中で、古来から四要品といわれる四つの重要な品(章)がある。その四つの品とは方便品安楽行品寿量品普門品である。今回は、如来寿量品をご説明いたします。少し難しくなりますが........... (^^)/

 

◎第十六章 如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)から

 

我(われ)、仏を得てより来(このかた) 経(へ)たる所の諸(もろもろ)の劫数(ごうしゅ)、無量百千万億載阿僧祇なり。常に法を説いて無数億の衆生を教化して、仏道に入らしむ。爾(それ)より来(このかた)、無量劫なり。
衆生を度(ど)せんが為の故(ゆえ)に 方便して涅槃を現(げん)ず。 而(しか)も実(じつ)には滅度(めつど)せず、常に此に住して法を説く、我、常に此に住すれども、諸(もろもろ)の神通力を以って 顚倒(てんどう)の衆生をして、近しと雖(いえど)も而(しか)も見えざらしむ。

 

☆ 如来寿量品の課題

「法華経」の第16品は「如来寿量品」といわれる。
如来とは仏のことであるから、仏の寿命は無限であり、永遠の生命であることを説いたのがこの「如来寿量品」である。
普通、仏である釈尊は今から二千五百年ほど前にインドで生まれて仏教を説き、八十歳で入滅された方といわれているが、釈尊がこの世に出現されたのは単なる偶然ではなくて、無限の過去の深い因縁によって、この世に現れたのであることを明らかにするのがこの、如来寿量品である。昔から如来寿量品でもっとも重要な教えは「開近顕遠」(かいごんけんのん)と「開迹顕本」(かいしゃくけんぽん)と「開権顕実」(かいごんけんじつ)であるといわれる。

まず「開近顕遠」(かいごんけんのん)とは、「近きを開いて遠きを顕(あらわ)す」 ということである。釈尊がこの世に現れたことは、二千五百年以上も前のことであるが、われわれ人類の前に人間としての姿を現して教えをお説きになった事実を(ごん)というのである。遠いということは、釈尊がこの世姿をお現しになるはるか昔ということである。近い事実は釈尊の出世(しゅっせ)であり、遠い因縁は無限の過去ということになる。「開近顕遠」(かいごんけんのん)とは「近きを開いて遠きを顕す」ことであるから、釈尊の出世という近い目に見える事実を通して、無限の過去にひそむ遠い因縁を明らかにすることである。かくして釈尊がこの世に現れた本当の意味を理解することができる

次の「開迹顕本」(かいしゃくけんぽん)とは、「迹(しゃく)を開き本(ほん)を顕(あらわ)す」 ことである。(しゃく)とは形に現れた仏のことで、釈迦仏、多宝如来、阿弥陀如来などのことであり、本(ほん)とは根本の目に見えない仏である。人間の目に見えるように、形を顕した仏がで、目に見えない仏がである。迹とは現れたということで、本とは隠させた本元のもの、ということである。「迹を開き本を顕す」 とは、現れた仏を深く研究して、その根本である永遠の仏を知ることである

なぜわれわれは永遠の仏を知る必要があるのか。それは、この世に仮りに姿を現した釈尊はやがて入滅されたわけであり、そうなると、仏というものを単に一時の存在にすぎなくなる。われわれが本当の信仰をもつためには、永遠に存在する仏というものが、絶対の仏というものがなくてはならない。単に仮りもの、一時的の仏であれば確信をもって信じることはできなくなる釈尊という方は永遠の仏の生命を具現(ぐげん)した方であるのだ、というように理解することによって信仰が確固不動のものとなる。そのためこの寿量品においては「迹を開いて本を顕す」 ということを説くのである

第三の「開権顕実」(かいごんけんじつ)というのは、「権(ごん)を開いて実(じつ)を顕す」 ことである。(ごん)とは仮りの教え、方便(ほうべん)の教えということである。方便の教えを手がかりとして、真実の教えに入ることが「開権顕実」ということである「方便品」以来、今までずっと説いてきたのは方便の教えであり、今や、この「寿量品」において真実の教えに入るのだということが、「開権顕実」ということである

以上、述べた三つの「寿量品」の教えの大切なこと、「開近顕遠」 「開迹顕本」 「開権顕実」を一つにまとめていえば、「開顕」(かいげん)ということになる。仮りの教えを開いて真実を顕(あらわ)すことが、今やこの「寿量品」の課題となった

 

次回につづく

 

 

追記、 ちょっと、難しくなりましたが、如来寿量品は、法華経の核心部であり、何度も読誦することで、徐々に理解が深まってくると思います。(^^)/

 

 

 

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