釈尊に生きる! 日蓮聖人 その2 (よい指導者との出会いが大切) | 釈尊と共に生きる、西洲のブログです!

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法華経は釈尊の肉声の教えの経典です。あらゆる経典の中で、法華経は、別の名を
「最上王経」とも呼ばれ諸経の王でもあります。女人成仏をはじめどんな衆生も
生きるもの全てを救おうとする仏陀の方便の力は、法華経のすばらしさです。

 
仏陀釈尊の道に目覚めることこそが ................. 。




※法華経の第一人者は、何といっても日蓮聖人です。法華経に生きた日蓮聖人の教えを紹介します。

 

善知識に値(あ)ふ事が第一の難(かた)き事なり。
されば、仏は善知識に値(あ)ふ事をば一眼(いちげん)の亀の浮木に入り、
梵天(ぼんてん)より糸を下げて大地の針の目に入るにたとへ給わり。

(三三蔵祈雨事)



訳、人をして仏道に導き、解脱を得させる指導者(善知識)に出会うことがもっとも難しいことです。仏陀は、そのような指導者に出会うことを、片方の目しか見えない亀が流木の穴に入るようなものであるとも、天空の遥か上空にある梵天(ぼんてん)から糸を垂らして大地の上にある針に通すようなものであるとも述べられています。


◎よい指導者との出会いが大切

「善知識」とは、狭い意味では、仏教上の指導者を意味しますが、一般社会であっても、よい指導者に出会うことほど大切なことはありません。「私が今日あるのは、あの方のおかげだ」 と語ることのできる、人生の指導者を持っている方は幸せです。

そのような経験を耳にするにつれ、「あのとき、あの方に出会えたのは幸せだった!」 と自身のことを振り返る人も多いことでしょう。小学校.中学校.高等学校.大学での出会い、仕事上の出会い、それぞれに「よき指導者との出会い」 の大切さを感じます。

ただ、ここで日蓮聖人がいう「善知識に出会うことが、一番難しいことだ!」 というのは、そうしたレベルを超えて、「人間としての生き方を教える師」 「生きる意味の根源に導く師」 という意味での「善知識」 との出会いを求めていくべきだということです。

「師」 などというと、古臭いとか、抹香臭いというイメージを持つ方がいるかもしれません。しかし、今日でも、「心の導き」 を求めている方は多くいます。そうした思いに応えるのが「師」 「善知識」 といえます。

日蓮聖人は、本当の意味での仏陀釈尊の道に目覚めることこそ最大の善知識(指導者)との出会いであるということを導き続けたのです。いろいろな形で指導者に巡り会うためには、きちんとしたアンテナを張っておく必要があります。 (知識ゼロからの日蓮入門 渡辺宝陽著、参照)
 

 

追記、日蓮聖人は、お釈迦様の教えに心底、気づいたんです。 現代は個人個人が、宗派はバラバラで家は何宗、何宗と言い張る人がいますが、仏教はお釈迦様の教えです(^^)/

 

 

 

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