長春 偽満州国皇宮 | まさし特派員の世界一周だより

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ハルビンから長春に移動。
普通列車、40元の硬座で3時間程度の距離。


長春駅。
長春はかつての満州国の首都で、その頃は新京と呼ばれていた。
長春での主な目的は、かつての満州国が残した建築を見て回ることだった。
一番の見所は、偽満州国皇宮である。 満州国皇帝としての溥儀がここに暮らしていた。


今の新民大街という通りが、満州国の官公庁街だった。


新民大街に旧満州国の重々しい建物が立ち並んでいる。



これは吉林大学。
屋根が日本の城みたいな形をしているこの建物も、満州国の政府の建物を流用している。


入口の階段もこのように重々しい。


偽満州国皇宮。
入場料60元。
展示が充実していてとても見応えのある場所だった。








溥儀が清朝の復活を祈願したという神棚。




溥儀の生涯に関する展示に入る。
日本語の説明もあるが、日本人としては色々突っ込みたくなる箇所があった。


「東北地方で血生臭い植民地支配を行って、東北地方の人民に深刻な災難をもたらし」


まずはこれ。確かに満州国は傀儡国家だったし、日本が力でむりやり中国から奪い取った土地を既成事実化するために作った国だった。そこでは731部隊などのひどいことが行われていたのも事実。
しかしひどいことばかりでもなかったのもまた事実ではないだろうか。
その証拠に、1932年の建国時に3000万弱だった人口が、1940年には4000万人超になっているんだよね。
そんなにひどい圧政を敷いていたら、わずか10年足らずの間にこれほど急に人口が増えたのかという。



人口増の原因は移民だった。
移民には過剰な人口に悩んでいた日本の国策的な日本人開拓民ばかりでなく、漢人の移民も多かったのだそうだ。
当時の中国は軍閥だの国共内戦だの混乱続きで、同じ中国人同士で争っていた。
一方で、この頃の中国東北地方は以前からロシアや日本の投資が入っていて、当時の中国の中でも発展した地域だった上に、満州国建国で日本の投資がさらに入った。強力な関東軍の支配下にあって治安も安定し、急速な発展を遂げたという。
中国の混乱を嫌って満州国に移民してきた中国人もかなり多かったのは事実で、そりゃ庶民にとっては政治や民族の誇りなどよりも、自分たちがいかに食べていくかのほうが大事なのはいつの時代も変わりがないよね。


これは満州国のプロパガンダの絵。日本が中国をどのように見ていたかが分かる。そこには差別意識もあったと思うし、あるいは今の僕たちの中国に対する認識も、これと似たりよったりかもしれない。
満州国は「天国」とあるが、確かにその頃の中国の他の地域と比べて、満州国は平和で発展していたのだろう。しかし、実利や平和に釣られて移民してきた人たちに、満州国に対する帰属意識がなかったのは自然で、日本が戦争に負けるなり、あっさり満州国は解体してしまった。



写真に取り忘れたんだけど、満州国の官僚の展示もあった。満州国の官僚は上に立つのは日本人が主だったけど、漢人官僚も多かった。
その展示には、「これだけの中国人が国を裏切って満州国に協力した事実を我々は記憶し続ける必要がある」と書かれていた。




中国を旅していて、列車の中で周りの人を気にせず大声で話したり、電話したりする人をよく見かけた。
周りにはそれを見て苦笑したり苦々しい顔をしている人もいる。しかし本人は全く気にする様子がない。
僕が泊まったホステルでも、同室の中国人が深夜一時に大声で電話で話し始めたことがあった。さすがに注意したら止めたが、そうしなければ夜通し話し続けることもあり得ただろう。



そのように他人の存在がハナから眼中にない、気にならない人がこの国には一定数存在する。もちろんそんな人ばかりではないし、他人を思いやれる人もかなりの割合でいるんだけど、やはり中国人には自分中心で他人を気にかけない人がある程度の割合で存在するのは事実だと思う。



歴史を見ても、例えば日中戦争でも、自分に利があると考えれば、敵であるはずの日本軍と手を結ぶ中国人もいた。
中国人は個々でバラバラで、協力して物事を進めるというのが苦手な民族なのかもなと思う。それは旅の合間に見た中国人の些細な日常の行動からも見て取れるように思った。それは中国人の歴史的な弱点で、そこを日本につけこまれたという反省が共産党にはあるんじゃないかと思う。
その帰結というか自国民の弱点に対する対策して、反日教育があるのかもしれない。反日教育はバラバラでまとまるのが苦手な中国人に、愛国心や国に対する帰属意識を高めるためのもののような気がする。悔しさや屈辱的な記憶というのは、いつまでも心の中に残るものだ。偽満州国の展示を見て、何となくそう思った。




まあ、反日教育ばかりではない。
路上でよくマナー向上キャンペーンをやっているのを見た。例えば交差点で学生がタスキに旗を持って歩行者の道路横断を指示していたりする。そういうのをいろんな地域で見かけた。そしてそれは、マナー向上に効果があるように見えた。それは確かに上からの管理統制という強制(矯正)的なやり方ではあるが、人々が自発的にマナーを守らない以上は、それが中国人に適したやり方のように見えた。


「10年に渡る教育と改造」とある。
中国共産党は撫順の戦犯刑務所で人道主義に基づき、溥儀を悪人からまっとうな善人に「改造」したんだと。
「改造」という共産主義用語が仮面ライダーみたいで気持ち悪いんだけど、こういうのを見ると、共産主義に対するアレルギーが湧いてくるね。同じように感じる日本人は多いと思う。そして今も共産党は人々を「改造」している。ウイグルやチベットで。







溥儀は撫順の収容所でこんなふうに内職をしながら、自分の罪を悔い改めたんだとさ。





ただね、僕は中国には懐の深い一面もあって、他人を許すことで自分の器の大きさを示す文化があるようにも感じるんだよね。
溥儀に対する処置もそうだけど、この旅で何度か中国人と歴史について話したんだけど、「過去の歴史はあなたのせいじゃない」とか、「過去よりも未来の方が大事」と言ってくれる中国人が思ったよりも多かったことは記しておく必要がある。
マナーの悪さ、外面的な行動はやはり目につくんだけど、同時に彼らは日本人である僕に対しても親切だった。あまり表面的な行動だけで中国人を判断するのも、それはそれで不当ではないかと思う。この旅で確かにいろんなことがあったけれども、基本的に嫌な目に会うことは一つもなかったんだよね。



溥儀の監視役の吉岡安直の部屋。
役柄からして中国人には不評なのだろう、傷をつけた跡があるね。



「建国神廟」と名付け、天照大神を祀った日本式の神社を建て、そこに防空壕を作ったのだそうだ。
防空壕の名前もそのまんま天照大神で、天の岩戸のつもりだったのかね。神話の中の天の岩戸の周りには、神々の踊りや歌や賑やかな宴があったけれども、満州国の岩戸は無慈悲な爆撃を想定して作られたというわけだ。
文化も風土も異なる中国に日本の神話を持ち込むとは、日本も大概だったわな。