↑ 京都府京丹後市弥栄町にある味土野。ちょうどこの場所が細川ガラシャが幽閉された跡地
6月24日・25日の1泊2日で、
「けんこう農房」でも大変、お世話になっている大益兄貴が住む味土野を訪ねました。
↑ 「けんこう農房」をサポートして下さっている大益兄貴
明智光秀の娘であり、細川忠興の正室だった細川ガラシャが幽閉された地で有名な味土野なんだけど、
今や村民が大益兄貴たった一人という状況
これを危惧した近隣住民たちがなんとかしたいとう思いで有志を結成し、
当法人でもなにかできないかということで第1回目の会合に参加してきた、というワケです。
ちなみに、ケータイが一切、通じません
↑ 会合が行われた「ガラシャ荘」 ↑ ガラシャ荘の裏手
第1回目の会合は、13時~16時30分まで自己紹介を兼ねて皆で案を出し合い、
次回へ持ちこすことに。
その後、大益兄貴は7/22に味土野で開催する星空観察会の打ち合わせへ。
そして私たちは、大益兄貴が解放されるまで周辺を散策することに。
↑ 細川ガラシャが幽閉された跡地。大益兄貴の家はここから徒歩で約10分
↑ 金剛童子山の登山道入り口。大益兄貴の家から徒歩約5分
↑ 金剛童子山の登山道入り口付近からみた、大益兄貴の家。でもこれは倉庫で、本宅は約80m登った先!
↑ 味土野廃村の碑。 大益兄貴は味土野に1983年から住んでいます
↑ 周辺の休耕地。縄文農法にはピッタリの地や!
↑ ここから、大益兄貴の家へと登っていきます
じつは私、大益兄貴の自宅を再訪するのは3回目で21年ぶり
その昔、ボギー理事長が大益兄貴を取材したことで2人は知合いとなり、
今では公私共の仲であります。
さて、18時前になっても大益兄貴の打ち合わせが終わらなかったので、
先に自宅へと向かいました。
↑ 山を登る途中にある大益兄貴の畑を ↑ 樫木を乾燥中。木工轆轤職人です
↑ これも作業場。下にある作業場も大工でもある大益兄貴が建てました ↑京かのこの花
↑ ジャ~ン! これが築120年の大益兄貴の自宅
↑ ジャ~ン! これが味わい深い築120年の部屋。21年前となにも変わっていない!
↑ なんやかやと多くの人がココを訪れる際、酒好きの兄貴に置いていく酒の数々。まだ奥にたっぷり!
↑ 炊事場。山から水を引いてます ↑お風呂。21年前は五右衛門風呂でした
↑ 自宅の裏手側。窓があるところがお風呂場
19時前に、打ち合わせが終わった大益兄貴が
会合に出席していた3人の親子とSさんを引き連れて戻ってきた!
そして今宵は、大益兄貴が夕食をもてなしてくださいました!
↑ 木工轆轤職人であり、大工でもある大益兄貴
↑ 竹串の先に刺したウィンナーを囲炉裏の火で炙って食べる! これは子供たちの案!!
↑ ガラシャ荘の裏手に自生する山葵の葉でつくったお寿司。山椒が効いて旨い!
7/22の星空観測会でも出ます
↑ 大益兄貴が作ったキュウリ&2人のお子さんを持ち、食堂を経営しているYさんが作ったロックウェルレタス
21年ぶりの再訪&何ひとつ変わらない味土野の夜を大満喫しながら夜が更け、
13時過ぎまで語り合いました。
(大益す兄貴の頂きものの酒が旨かったぁ)
翌朝
↑ 昨晩降った雨により、機能は咲いていなかったツユクサの花が開花していました!
↑ ツユクサの花
↑ 朝食も、大益す兄貴の手作り!
↑ 子どもたちは朝早くから山登り! 大益兄貴が囲炉裏でつくってくれた朝ごはん
お茶碗や椀は大益兄貴の作品
↑ 朝食後は自宅裏手にある作品部屋で作品を鑑賞。この倉庫も大益兄貴作
↑ 以前、NHKで取材されました
↑ 日本版 マトリューシカ? 7万円です
↑ こちらは水筒
毎週日曜日、味土野からクルマで約20分のところにある野間町で
9時~12時まで朝市があるっということなので行ってみることに。
↑ でもその前に、昨晩、頂いた自生山葵のお寿司を気に入ったYさんが
自分の畑でも育ててみたいということでガラシャ荘に立ち寄り、自生山葵をお持ち帰り
↑大益兄貴の自宅近くに自生するクルミの木。初めてみた! ↑ニンニクの花
↑そして、ようやくたどり着いた野間町の朝市。
廃材を利用し、住民たちでつくった手作りの館です
10時頃に到着したけど、来たのが遅くて野菜はほとんど売切れ!
代わりに、焼き立てパンを頂きました。
↑奥のスペースから臨む川辺。アユと鰻がいて、アユは7月9日から解禁です
さて、この度の会合でによって、なにがどうなるかはまだまだ未定ですが、
縁あって味土野や近隣住民の方との出会いを頂いたので、
当法人もお役に立てればと思考中です。
いつか、ガラシャ野菜とか作ってみたいなぁ。
乞うご期待?!
ゆったりと時間が流れる素敵な週末でした。