公式Facebookページでは既にVol.4までが掲載されているアーカイブですが、こちらのブログではより詳しく、それぞれの作品の誕生秘話や作品解説を書くことにします。
第1回の「Hamlet ハムレット」に続いて、今回は私のレパートリーの中でも最も数多く上演を重ねている作品についてです。
【アーカイブ Vol.2】
ダンボール人形劇場「お花のハナックの物語」
初演:2002年7月
(掲載写真は2006年・再演版)
オリジナル作品として、現在も全国各地を巡回中の作品。この春~夏も各地で上演が予定されていましたが、残念ながら全て中止及び延期となりました。
今回は、そんなハナックについてご紹介いたします。
上京してすぐの頃、材料費を確保できなかった私は、近所の薬局でダンボールをいただき、それらを材料にして、2002年の7月「池袋いけいけ人形劇まつり」でこの作品を発表しました。
北海道から上京し、公の場で公演をさせていただいたのはこの作品が初めてでした。
前年の2001年末に同フェスティバルへの参加劇団募集のチラシを見つけ、東京の人形劇界の勝手もわからぬまま応募。実行委員会に参加させていただき、ただひたすらに熱い思いをぶつけました。
このフェスティバルは、フロアごとにプロデューサーが選出され、各フロアごとのテーマに沿った劇団が1日中上演を行う…というスタイルでした。
どのフロアで上演させていただけるかな…と思っていたところ…、実行委員の皆さんに…
「君は1フロアを使って自分がプロデューサーになるのが良い…。」
「ひとりだけで演っても良いし、仲間を集めても良いし…。」
「2階は参加者の楽屋フロアにする予定だったが、ひと部屋広めの部屋を空けることができる。そこを好きなように使って思う存分なにかをしなさい。」
…とのご提案。
当時、東京の右も左も分からなかったような私にとって、それはありがた過ぎるほど…夢のような申し出でした。こうして私も実行委員のひとりとしてこのフェスティバルに参加したのです。
迎える池袋いけいけ人形劇まつりは15周年という節目の年でした。全フロアが「15」をテーマにして企画を組むのが条件でした。フロアごと、15をもじって「いちごの部屋」と題した装飾や、15の数に因んだゲームを取り揃えるなど、様々な企画が既に決定されていました。さて私はどうするか…。
よし、15体の人形を集めて演じよう!
当初の私の企画は、全国の人形劇団から人形を1体ずつお借りして、順に操演する…という展覧会的なものを想定していました。
国内の有名人形劇団を幾つか訪問し、企画の意図に賛同していただき準備が進められましたが…、他劇団の歴史を知れば知るほど、上京したての私がそれらの人形に触れることに恐れ多さを感じ、徐々に躊躇しはじめました。
故郷・札幌の人形劇の先輩に相談したところ…「あなたの創った人形で演った方が良い。」とのご指摘…。うん、ごもっとも…。
当時は人形を作る資金が工面できないことを言い訳にしていた私…、しかし、先輩と電話で相談しながら色々とイメージが湧いてきたのです。
経費が捻出できぬなら…
「いっそのこと、ダンボールだけでどんな人形ができるか…などという企画に変えた方が良いだろうか…??」と提案したところ、札幌の先輩も、東京の仲間も皆が大賛成。
よし、ダンボールで15体の人形をつくろうではないか!という考えに行きついたのです。
まずはつくってみたい人形をひたすらデッサン…。
ロボットやら、お姫様やら、動物やら…。
そこから主人公を決める。
小さな主人公が自分の可能性を再認識ストーリーにしたい…と。
ネズミ・ヒヨコ・花などが主人公候補に…。
とは言え、ひとりで演じる舞台。全ての人形をいちどに操作することはできません。ならば!その不自由さをストーリーに組み込んでしまおう!ということに。
小さなハナックが魔法の力により、1日だけ土を抜け出し自由に動ける…。
他の動物達はみな静止して動かぬ世界となる。
ハナックがその身を付けた動物は自由に動ける…。
それぞれの動物達との密な交流を通してハナックが見つけた未来とは何か…。
そんなストーリーにしてみました。
近所の薬局から毎日のようにダンボールをいただき、友人に手伝ってもらいながら、日夜ダンボールと格闘しました。
そして2002年の7月、公演日を迎えました。
自分の体のペース配分や体調管理もままならなかった頃。公演前日から所謂「知恵熱」というものを出してしまいました。
39度の高熱の中、おでこに解熱シートを貼って仕込みをしていたのを覚えています。
当時の作品のタイトルは
「ザ・15パペッツ ~ゆかいなダンボール~」
今思えば、我ながら…ダサい…(笑)。
実に、実にダサい…(笑)。
しかし、これがまさかの大反響…。1日で3ステージという無謀な挑戦でしたが、超満員のお客様はそれはそれは喜んでくださったのです。
しかし当時は人形達の置き場所も確保できなかった時代。
ゆかいなダンボール…は、
1日限りの上演後、人形達は全て天国に送りました。
その後、たった1日限りの上演だったのにも拘わらず、あのダンボールの人形劇が観たい!という声や、噂で聞いたのですがどこで観れますか?…などの声を度々いただくように。
2005年、マネージメント事務所に所属をさせていただき、当時の事務所社長をはじめとする皆々様のご尽力により、私の人形劇の上演環境が徐々に整ってゆきました。ある程度の物量を保管することのできる倉庫も確保されました。
よし、ならば、今こそ!あのダンボール人形劇を再演しようではないか!
初演から4年後の2006年、今度はしっかり有料のダンボール(笑)を調達し、初演時よりも全体のサイズを大きくしたバージョンアップ版を作成。尚且つ、全国ツアーを見越しての頑丈な造り、何度でも分解&再建可能な組み立て式の構造にしました。
まだ自分専用の作業アトリエも無かった時代、知人の美術家さんのアトリエを間借りさせていただき、そこに通いながら人形達を制作しました。作業が深夜に及び、ダンボールの上で睡眠をとることも…。
そして再び「池袋いけいけ人形劇まつり」で上演。これらの写真はその2006年の再演版初演時の様子です。
その後、ツアー作品として正式にレパートリー化され全国各地を巡回。
「厚生労働省児童福祉文化財」にも認定され、「特別推薦」の表彰を受けました。
本当にありがたく嬉しいご褒美でした。
子どもも大人も、共に笑い、そして涙を流しながら観てくださる作品です。
劇の後半、ハナックは命の危機に晒されます。その様子を、子ども達は固唾を呑んで見守ります。
劇の前半は賑やか場内。それがやがて、水を打ったような静けさに包まれます。
子ども達から響きはじめるハナックへの声援…。
そんな子ども達の反応は、私自身、上演をしながら何度も震え上がるほどに感動してきました。
客席と舞台を何度も行き来しながら上演する本作。
とある公演の際、そんなハナック衰弱の場面で、私は客席でキリンの人形を操演していました。
すると2歳くらいのようやく立てるようになったくらいの小さな男の子が私にしがみつき、舞台に倒れているハナックを指さし、目をウルウルとさせながら…
「ちゅーちゅーしゃ(救急車)、ちゅーちゅーしゃ呼んで…、ねえ、ちゅーちゅーしゃ呼んであげて」と。
キリンさんを操演しながらも、私は絶句してしまいました。
私はキリンの役になりきりながら…
「あらまあ、おばさん、救急車の呼び方知らないのよ。どうしたら良いかしらねえ。とにかく今は、気持ちいっぱい、ハナックちゃんを応援してあげて」とアドリブ。
この男の子の「ちゅーちゅーしゃ呼んで」の声は今も耳から離れないのです。どんな経緯で小さな彼が救急車を覚えたのかは知りませんが、救急車を呼べば命が救われるかも…ということを彼は知っていたのでしょう。
劇の後半は祈るようにハナックを見守る子供達…。
そんな子ども達の思いに導かれるようにして、劇は感動的なフィナーレへと向かいます。もちろん、終幕には最大の救いが用意されています。
涙の後の晴れやかな笑顔。その印象はもう言葉にできません…。
たった1時間ちょっとの舞台の末、子ども達と私の間には不思議な絆のようなものが生まれるのです。これこそが劇場の醍醐味。生の舞台ならではの「ふれあい」がそこにあるのです。
公演会場ごとに思いもよらぬドラマが巻き起こるこの作品…。
子ども達の反応によって劇もどんどん変化・進化してゆくのです。
自分がこの世で最も弱く、最も自由がないと思っていたハナック。
しかし、動物達との交流を通して、自分には自分だけの魅力や可能性があるということを知るのです。
この物語は、主人公こそ植物というかたちをとっていますが、そのテーマは…現代を生きる子ども達へのエールです。
この作品のメッセージがひとりでも多くの子ども達に届き、未来を生きる糧となっていただけますように…。
様々なエピソード、上げればキリがございません…。
まだまだ語りたいところですが…(笑)、既にかなり長くなってしまったので、ハナックのお話の続きはまたの機会に…。
こんな調子でアーカイブを書いていたらカラダがもたないかも…汗(笑)。
読む方も大変ですよね…!?
アーカイブのテーマをざっとリストにしただけでVol.30を超えています。
次からはもう少し短めにしないと!??