【チャクラ・ゼロ】 チャクラの『零番』 | 神人一致の癒奏術・響庵

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零(ゼロ)とは「無」ではなく「空」というものであり、「空」とは「包括するもの」であり「器」であるもの。

 

それは『概念』などではなく『境界』であるところの【極み】の場所である。

 

 

チャクラにも「0」という『境界』があり、その『境界』を「形作る」ものがある。

その「0」の境界は『陰陽』の境界でもある。

 

 

チャクラが「花開く」とき、それは「陽」から「陰」へと転換するときであり、「陽」の「意」がエネルギーを発生する「始まりの場所」であり「転換点」でもある。

 

「0」とは「空」であり、それは「空間」というものである。

 

 

エネルギーの空間

それは「エーテル」と呼ばれる「霊的エネルギー」が形作られたもので、それを「霊体・エーテル体」と呼ぶ。

 

「0」の境界の内側が「エーテル体」であり、外側の空間と隔てられているから「無」ではなく「空」であり「0」となる。

 

 

既存認知されているチャクラが発動する前に、必ず「0」のチャクラが動き出す。

「0」の空間チャクラ内に「流動」が起こり、その『風』がチャクラの花を開花させ回転させる。

 

 

大気に「気圧」があり、気圧の「谷」があり、「谷間」で「陽気」が「陰気」へと転換され『風』が起こり『雲』が発生し、『雨』が降るという【理(ことわり)】通りに、エーテルという「大気圏内」で起こる事象が「チャクラ」を開花させることとなる。

 

チャクラの開花は「次元の層」を繋ぐため、エネルギーの波を「階層化」する。

荒い次元から細かな次元へと【道】を通すのである。

 

番手が上がるほどにエネルギーは微細化され、より「高位の次元」へと繋ぐ【道】となる。

 

肉体次元、幽体次元、霊体次元、光体次元・・・・

 

それらすべてのチャクラを開くには「荒いエネルギー」から「光的微細エネルギー」との「交流」が必要になる。

 

 

微細なほど「陽気」であり、荒いほど「陰気」である。

 

微細な「光的エネルギー」という「陽気」は『外的エネルギー』であり、それを「0の境界の内側」へと「呼び込む」必要がある。

それは「光的エネルギー生命の意思」であり、その「意」に「通ずる」必要がある。

 

「通ずる」ということは「双方向」の【道】が出来るということであり、当然「双方向交流の許可」が無ければ【道】が通ずることはない。

いくらこちらが望んでも、向こうに望まれなければ意味がないということだ。

当たり前の話である。

 

 

そして「通ずる」ことが「認められた」なら、「0の境界内(エーテル内)」に「陽気の圧(意思)」が流入する。

それによりエーテル内に『風』が起こり、その「流れ」が整えばその「風」は『軸』を目指して「渦」となり、軸上に配置されたチャクラの花が回り出す。

 

 

これが「チャクラ開花」のゼロからイチへと派生するまでの流れであり、それは「0」から「0.1、0.2、0.3・・・・」と「1」へ至る前に起こることである。

 

ゆえに「エーテル」というエネルギー体の「境界」の『内側』が「チャクラの零番」ということである。

 

 

そして、「0」から1.2.3.4.5.6.7.と上がっていったエネルギーの【道】は、【通ずる道】であり、チャクラが『開く』ということは【道が開く】ということなのである。

 

さて、そこに開いた【道】をどうするのか?

 

高位の霊的生命から「許可」が有るか無いかは、それが決定づけている。

 

向こうは「先を見通した」うえで「許可」を与えるか与えないかを判断しているのである。

この意味が理解できるか否か?

 

 

天からの強烈な「意思」という「陽気の圧」は、そこをクリアできなければ訪れない。

 

 

仮に「圧」が訪れても、流れに「淀み」が生まれるようでは「チャンスを逃す」ことになるだろう。

 

そう何度も簡単に与えてはくれない。

 

 

いくら努力をして「自分だけで」道を通そうとしても、道を塞がれるだけである。

だからこそ「念」や「幽体」の領域で終わる人が続出しているわけである。

 

念を凝らして幽体の「生霊」を飛ばすのがせいぜい・・・・ということだ。

 

さらに、高い次元へ向かうには自分だけのエネルギーでは無理である。

向こうから「引き上げて」もらう必要がある。

 

双方向であるというのはそういうことなのだ。

 

 

 

高位の光の意思の「圧」を受けるには、エーテル内の「空間」が、それこそ「空」でなければならない。

 

では「空」でないものとは如何なるものか?

 

先ほど例を挙げたように「念」や「幽体」の「シコリ」のような『不純物』が「無い」ということである。

 

ゆえに「念」を凝らしてチャクラを開花させようという試みは、必ず途中で挫折する。

 

 

 

チャクラとは【道】である。

次元界層へと渡る【架け橋】である。

 

その【道】を開いて何とする?

 

それは「高位の霊意」と繋がって何とする?

 

という問いである。