【尊(みこと)】を忘れた神の国 | 神人一致の癒奏術・響庵

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かつて日本は石油と鉄の資源を止められて『経済戦争』を仕掛けられ、そのため『国民を守る』大義のもとに戦争へと舵をきった。

それは、大勢にいじめられて『このままでは駄目だ』となったから『反撃』をしたということだ。


今、日本は「大勢」と一緒になってロシアの『いじめ』に参加した。

かつて、いじめられて抵抗したはずの日本人は、いじめられる『痛み』を忘れてしまったのだろう。

あの大戦が終わってもうすぐ80年が経とうとしている。

そんな日本は今や『いじめで人を殺す』大国となり、世界一若者が『いじめ』で自殺する『自殺国家』となった。

だから平気で「強い者たち」に寄り付いて、一緒になって『いじめ』に参加し、自分たちは『正義』であると宣い、自分たちは『善人』であると宣う。



恐らく、将来『北朝鮮』という国がいかに日本にとって『友』であるべき国であったかを知る時が来るだろう。

かの国にはたくさんの日本人が住まう。

せっかく『友』とろうとしたのに、「良いというまで土下座しろ。さもなくば許さない。」と昔の『悪』をなじり続けて、やり直す機会も与えず、改心する『赦し』すら与えず、また一人『友』を失っていった。

第2次大戦に敗戦して打ちひしがれた日本に、韓国が南下して攻めてこようとしたときに、それを阻止したのは北朝鮮である。

『日本を助ける』大義では無かったにしろ、結果的に救われた。

そんな『恩義』はどこ吹く風と、『悪事』ばかりをなじり続ける。



なにが『神国』であるか?

今の日本のどこに【神】がいる?


過去の栄光に縋って「日本は神国だ」「日本人はo

すばらしいんだ」と宣ったところで、今それに見合う「行い」が全く在りはしない。

それでも【神国】宣う姿は『鼻高天狗』の極みであろう。



別にロシアと無理に『友』となれとまでは言わない。

だが、「自分の国」の人のことへ最低限考えが及ばないものか。

恐らくそんなことよりも「強いものに媚びを売る」習性が付いてしまっているのだろう。

自国の民を人身御供に「自分だけは」いい思いをしたいと、尻尾を振り続ける『犬』に成り下がった。



本来【神】が居なければならないはずの国の「人の心」にもはや【神】はいない。

そこに居るのは【鼻高天狗】ばかりである。

近い将来、ポキンポキンと鼻が折れる音が聞こえてくる。



今の日本は弱い。

歴史上【最弱】だろうと思う。

自らの【尊厳】すら護れぬ国。

自らの【尊厳】すら護れぬ人々。

【尊厳】すら忘れてしまい、他者の【尊厳】を平気で踏みつけるものが『強さ』を持っているわけがない。

そんなことすら気付けずに『虎の威を借る狐』となって、『赦す』器も無く『優しさ』さえどこかに置いてきたような今の日本である。


そんな日本を『神に護られている』と言い、一向に『鼻高天狗』であることに気付かず、自らを省みることをしない民。

幽国(がいこく)御魂の人々の心には、もはや『神』は住んでいない。




【神】が住める人の心は『大き器』の心なり

『悪』を抱き込む『大器』なり

それが出来ぬうちは心に【神】は現れぬ

心を掃除洗濯整理して『大き器』とならねばならぬ

それが【神国】の役割である

世界が回る【独楽の軸】

「赦す」度量失いては【神】が入る隙間なし

「尊ぶ」心失いては【神】が坐す宮はなし

「神の護り」は【神国人】のみ

「幽界御魂」は護られぬ

改心急げ 神急ける



・・・・・・



ひふみ神示 下つ巻 第十六帖

知恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならんことになるから、さうなりたら神をたよるより他に手はなくなるから、さうなりてから助けて呉れと申しても間に合わんぞ、イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。

日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。

神の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、悪の神わたりて来てゐるから、いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。

神の国ぞと口先ばかりで申してゐるが、心の内は幽界人(がいこくじん)沢山あるぞ。富士から流れ出た川には、それぞれ名前の附いてゐる石置いてあるから縁ある人は一つづつ拾ひて来いよ、お山まで行けぬ人は、その川で拾ふて来い、みたま入れて守りの石と致してやるぞ。

これまでに申しても疑ふ臣民あるが、うその事なら、こんなに、くどうは申さんぞ。因縁の身魂には神から石与へて守護神の名つけてやるぞ。

江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。てん四様を都に移さなならん時来たぞ。江戸には人住めん様な時が一度は来るのぞ。

前のやうな世が来ると思うてゐたら大間違ひぞ。江戸の仕組すみたらカイの御用あるぞ。いまにさびしくなりて来るぞ。この道栄えて世界の臣民みなたづねて来るやうになるぞ。



磐戸の巻 第十四帖 

生味(しょうみ)の、生き通しの神が、生味を見せてやらねばならんことに、何れはなるのざが、生神の生味ははげしいから、今の内に綺麗に洗濯しておけと申すのざ、皆にまつろひておけと申すのざ。可哀さうなは兵隊さんざぞ、神に祈りてやりて呉れよ。

幽界人(がいこくじん)よ、日本の国にゐる幽界魂(がいこくたま)の守護人よ、愈々となりて生神の総活動になりたら、死ぬことも生きることも出来ん苦しみに一時はなるのざから、神から見ればそなた達も子ざから早う神の下にかえりてくれよ、いよいよとなりて来たのざぞ、くどうきづけるぞ。