この写真は今年の正月に六甲山頂より撮ったものです。
雪の降り積もった【六甲比売神社】の【磐座】へ赴き
「零から始める」ということを神前で約してきた。
そして・・・
再び【手放し】の日々が始まった。
例えば、引っ越しをする際には
『新居に』持っていくものと持って行かないものを選択する。
そんな時に
『この家具はどうしても持っていきたい』
『この絨毯は高かったからこれが使えるところに移りたい』
などなど様々な思いを元に新居を決める。
ただ、今使っている道具がすべて納まるところ・・・
となれば、新しい新居は結局のところ今と同じようなところになってしまう。
【手放し】はこれと同。じようなもの。
今まで使っていた家財道具や暮らしぶりなどは一切脇に置いて
『新居を決める』
ということである。
自分の過去の栄光や挫折など、一切を脇に置いて『新たな人生』へ向かうのである。
今まで積み重ねて来たことやモノを一切『選択』から排除する。
そうして『行き先』が決まったら、行く先でも使えるものがあれば持ってゆく。
必要なものがあれば持ってゆく。
そうすることでようやく『今までと違った新しい人生』へと昇るのである。
新しい行先で不要なものは『過去』へ置いていき、必要なものだけを持って向かう。
そうすることで、向かった先で『新たに必要なもの』を調達してゆくわけである。
だから『新しいもの』がやってくるのである。
そんな【手放し】を『零にする』などと宣言したものだから、様々なことが起こって【手放し】の作業を進めることになった。
捨てては新たに産みなおし
また捨てては産みなおし
そんなことの繰り返しが続いていた。
そして最後の最後に再び自らの【生命】さえ【手放す】というところまでいって
ようやく落ち着いた。
これは、ここ1年間の体重の推移であるが、見事に落ちるだけ落ちて「限界点」を超えたところでようやく底を打った。
「もはやこのまま動けなくなって死ぬのかな?」
と考えながら
「まあそれでもいいか・・・」
と【生命】を手放したところでようやく底を脱した。
体調が悪いのか、それとも体質の変化なのかわからない状態であるが、いくら抗っても体重も体調も落ち込んでゆくばかり。
「それならば・・・」
と抗うのをやめて【生命】を手放して身を任せることにした。
そして、この体調の変化と共に自分の行動も変化していった。
9月の初めごろが【底】のピークとなった。
過去の蓄積に執着しない・・・
それは『日々【零】に還る』ということ。
今日産み出したものが明日消えても構わない。
そんな心に変化している。
今日の『魚座の満月』に合わせるように
手放しが完了したようである。
【零】の状態
それは心の【無】の状態
だからこそ【無限】に変転出来る
常時、完全な【無】というわけではないが
【枷】というものはだいぶ無くなった
【生命】を投げ出せば【生命】の【枷】が無くなる
そうすると、心の中には【魂】の『思い』が満ちる
そして、魂の先にある【神】がよくわかる
【神】から伸びた縦糸は
あらゆるものに繋がっている
【魂】から【神】へと回帰すれば
あらゆるものが【自分】である
波に押されて凪に寄せてすべてのものが色を成し形を成す
那岐神の型に那美神の響きが起こり型が現れる
すべてのものに二神の静寂と響きがある
それを機織り動きが生まれ弥栄える
天の三柱の神の業
すべてを生み出す神業の中に
すべてのものが息づく
そこに生まれた【型】に
神の分け御霊が宿る
我が身も魂も同じ
この身に那岐那美二神宿り
この魂に柱神宿る
その【柱】の中にさらに【柱】があり
その更に奥にも【柱】がある
そこにあるのは『神の呼吸』
一息ごとに変転する虹彩
それは弥栄の呼吸
光が音となりカタチとなり
再び音となり光へ戻る
人は永らくその『神の呼吸』からはぐれて
雲となって漂っている
この地球(ほし)を覆う雲は
魂となって彷徨う霊
身の軛(くびき)から逃れられず
地球(ほし)を漂う雲となり
地球(ほし)を曇らせている
身の軛(くびき)は水の軛
情けの軛ゆえ雲となる
その雲を祓うために世が変わる
雲を晴らすは世(夜)を晴らす
日の出となれば雲は消え去る
魂の曇りは霊が雲とななっているゆえ
光の元に還れない
されば日(火)の出で昇華(消化)して
地球(ほし)の曇りを晴らすしか無し
火の洗礼は日(火)の出の洗霊
曇りて雲となった霊の洗霊
情け心を持ちすぎていては
火(日)に焼かれて苦しむばかりである
手放しは
情けの軛を手放すこと
魂を曇らせる情けを手放すこと
何が『情け』かわからねば手放せぬ
曇った霊を魂と思っていては手放せぬ
禊ぎは身削ぎ
情けの水削ぎ
水に沈んで死して生まれる
手放して零になり赤子となり生まれる
水の洗礼は身の洗霊
身の軛を死して外す
水から(自ら)上がれば零となる
意思(石)を持たねば零とはならぬ
情けの雲で出来た自分を
禊ぎ出来ねば日の出に焼かれん
鳴門の渦で禊ぎして
富士の日の出に間に合わせなされ
せっかく鳴門の渦潮が
禊ぎさせてくれている
日(火)の出の神が現る前に
曇り晴らして真澄となれ