地には様々な【宝】が蔵されている
生命、資源、鉱物、火、水、そして巡りがある
それを【地蔵】といい
それらを司る意思の表れを【地蔵尊】という
何もないと思える【虚空】にも様々な【宝】が蔵されている
それを【虚空蔵】という
何も見えない虚空にも生命があり、火水の資源があり、粒子があり、巡りがある
人の身体は【地】に拠り立つ
では人の心は?思いは?
人の様々な意思や思いや感情は、【虚空】に響き【色】を成す。
その他様々な生命や意思の【響き】は【虚空】に色を成している。
もちろん星々の【響き】や【神】や【仏】も常に存在し【響き】【色】を成している。
そんな【響き】を感知し見聞きするのが【神道】であり【陰陽道】であり【修験道】であり【仏陀】が説いた【仏道】であり、【密教】であり【易経】であり・・・
だがそれらはすべて『外来』のもの
かつてのヤマト人は『誰もが』虚空の響きを当たり前のように聞いていただろう。
すべての『智慧』は【虚空】に蔵されている。
その『智慧』を正しく観ずるためには、自らの心が『水晶玉』の如く【真澄】でなければならない。
心に【我】があれば、その【我】に磁石のように虚空に存在する「まがい物」が引き寄せられる。
【虚空蔵】の智慧を観ずるには自らも【虚空】とならねば【感応】しない
空海は最初に【虚空蔵求聞持聡明法】を修して【虚空蔵】の智慧を感得した。
虚空の海原に蔵された智慧を自在に観ずるため、自らが【虚空】となって『調和』したのである。
虚空と自在に調和する【観自在】となり、虚空の響きを【色即是空 空即是色】と『和する』ことで『即身仏』の身となる。
虚空の響きを観ずる「術(すべ)」は本来【神々】と語り合い【統べる】ために使うものである。
されどその「術(すべ)」を逆さまに使えば、虚空の響きを【呪(まじな)う】ことが出来る。
「術(すべ)」は道具である。
心次第で使い方は変わる。
そんな【虚空蔵】に手を加え【響き】を操る者在り
そうして何千年という長き時に渡り【術(すべ)】を使い続けてきたのである。
人々を【虚空蔵】から切り離し、自らは【虚空蔵】を使い続ける。
ただ自らを「利する」ために・・・
それが【岩戸締め】のくだらぬ理由である。
虚空に流れる大河(大我)の潮流を無視し、自らの小我で使い続けてきた。
そうして曲がりに曲がったこの世とあの世と神世の世界は
小我を束ねて【草薙剣】の【大鎌】振るい刈り取るしか無し・・・である
【虚空】とは
はじめなく 終わりなき
阿吽の狭間 【零】の点なり