神の息 ~霊現遊戯 | 神人一致の癒奏術・響庵

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3年半ほど前の、ちょうど自分が【覚醒】した前後の頃

『木と話す』

という女性がいた。

それを私は

「へー、そう(笑)」

と馬鹿にするようにその話を聞いていた。

心中では

お「木が喋るわけないだろう」と・・・・小馬鹿にしていたものである。


あれから3年半の月日が流れたが・・・

その間、「木」に呼ばれ奔走することも何度も経験した。

そして「木」が語りかけてくることをまざまざと知った。

「木」だけではなく「石」や「岩」も然りである。


だから、私を小馬鹿にする人の気持ちはよくわかる。

それはかつての自分でもある。




神の息


山の中の「杉の大木」などは、その山の「主様」である場合もある。

また大きな山であれば、山の一部のそのあたり一帯を仕切る「主」である場合もある。

六甲山のように大きな山では、場所場所で「主様」が居たりする。

そんな「主様」が何を話すのか?



六甲山の「布引の滝」近くの急斜面に【凛】として立つ「主の木」は

『我が根をよく見よ。』

そう語りかけてきた。

山が削れて地面からかなり浮き上がり突き出た【根】を見せ

『山を護っているものが何であるか心得よ。』

と、そんなことを語りかけてくる。




山が【山】としてその形態を保っているのは、ほかならぬ【木々】たちなのである。

そして、そこに息づく様々な生命たちの【調和】があって、はじめて【維持】できているのである。

しかし、【調和】が崩れた場所は『山が形態を保てず崩れ始める』のである。

されど【調和】の土台を支える【木々】


今にも崩れてしまいそうな【布引の滝】の景勝地を支える【木々】たちのおかげで、なんとか崩れずにいるのだ・・・・

ということを伝えられた。




【調和】が崩れ【木々】の力が尽きれば、木は倒れ山が死んでゆく。

【木】は【気】であり、【木枯れ】は【気枯れ】であり、それは【穢れ】の末に起こるのである。


そんな【穢れ】を祓うためにあちらこちらに呼ばれて行ったわけである。


布引、生田の杜、摩耶、貴船、丹波小富士、丹波豊受大神社、丹後真名井、厳島奥宮

そして福岡糸島から対馬への遙拝まで・・・


【穢れ】を身に受け【気枯れ】して、やがて【枯れ】て倒れる木々たち。

山の【祓い清め】をしているのが【木々】なのである。


その地に立つ【木】は【地の気】の姿なのである。




そんな木々たちは土中で【石】や【岩】を抱いている。

木の根がしっかりと抱いていたりする。

【石】や【岩】には【意】が宿る。


何の意が宿る?


そこに神々の【意】が宿る。



そして、宿った神の【意】が語りかけてくる。

【岩の神】が司る【地の神々】が【岩】に宿り、さらに分化されて【石】となる。

【岩】は【意和】であり【石】は【意志】である。

【石】は【岩】の【和の志し】を持つ。

それを木の根は【抱いて】屹立している。

山々に木々が生い茂り森や

林となっているのは、大地の神々の【息(意気)】なのである。


だからこの3年半の間、山々の【石】や【岩】に呼ばれるように【祓い】に奔走した。

六甲山頂の磐座に始まり、遠く九州の「宇佐」の地まで・・・




そして、山々やその地その地で「道案内」をしてくれる【白狐】たち。

彼らの御蔭で迷わず真っすぐたどり着ける。

途中、寄り道をさせられることもあるが・・・

そんな【白狐】たちを時には【運ぶ】こともある。

【伏見稲荷】からは多くの【白狐】たちを各地の【稲荷】へと【嫁入り】のための【舟】となるごとく務めた。

そんな時はいつも【雨】

晴れて太陽の光が差す中、必ず雨が降る。



人は【運命】という織物の機を織るための【横糸の舟】である。

この世を織りなすだけでなく、【かの世】の横糸も織りなす。

同じ【縦糸】で繋がる【この世】と【かの世】の機織り

それが【三界共和】であり【三千世界】繋がる【調和の世界】なのである。



木々が生い茂るのが【神の息】であれば、人々が栄え茂るのも【神の息】である。

【神の意】が雲のように姿を象り【霊(ひ)】が現れる。

それは国常立大神と豊雲大神の力であり【意】である。

二神の交わりが【火】を起こし【霊(ひ)】となり、それが様々な生命の【象(かたど)り】に結ばれる。

そんな【霊(ひ)】が象りに止まり【霊止(ひと)】となる。

およそ60兆の「細胞」という【生命の和】の【象り】の中に我々【霊止(ひと)】が宿り【人】と成る。

それは、石に【意】が宿り【木】に【気】が宿ると同じこと。

【人】に【霊】が止(とど)まる姿が我らである。

そして、そこに【止まる】には、さらに多くの神々の力がある。



すべては同じ一つの【神の息】が分かれて現れ出でた姿である。

それらの【息】が調和して成り立つ世界

神の【ひとつの呼吸】という【ひとつの時】の中に住まう世界

その世界が穢れ木枯れて気が枯れて・・・

人の【気】も枯れ行く




神の【息(意気)】が枯れた【器】に入り込むのが【禍霊】【邪霊】【悪神】

ゆえに今の世は『悪神懸かり』で溢れている。

元津神の気を枯らし、入り込むのが悪神の企みである。

『さざれ石』を作り固めて新たな【岩(意和)】と為す。

岩が石へと分かつが元津神の意

それを石(意思)組み岩(意和)と為す【逆さま】を為して入りこんだのである。


「元津神の息」と「悪神の息」


今の自分はどちらで在るのか?

そして、どちらを選ぶのか?



元津神の息と悪神の息の戦(いくさ)の最終局面

元津神の息を護るが【夏の陣】の【赤備武者】である。