自分を真ん中に | 神人一致の癒奏術・響庵

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ホリスティックセラピスト、ヒーラー、アロマブレンダー、メディカルハーブ、薬膳・漢方等々、様々な「癒し」を奏でる『ヒューマンセラピーメソッド』
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獅子座新月の時の占星学とアロマで「中心軸」に関してちゃんと書いていなかったな・・・

と反省の意味も込めて書いています。

 

 

先週より獅子のような龍が居ますので、少々強いエネルギーの文章ですが、浄化のエネルギーですのでご辛抱ください。

 

 

 

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自分軸で・・・とか

自分を中心に・・・とか

自分らしさ・・・とか

 

自分を生きるとはどういうことなのでしょう?

 

 

 

人は自分の人生を決めるにしても、ついつい他人の目を気にして、結局は「自分の意思」を曲げてしまう。

自分で決めているのだけれど、自分の心に忠実ではない・・・ということです。

 

 

一体の目を気にして、に何を言われるのを気にして、にどう見られるかを気にして・・・

そして、誰にも「見とがめられない」という生き方を選択してしまったり・・・

 

 

見とがめられないとか、文句を言われないこと。

それが「安心」「安全」な生き方だと思ってしまっている。

 

だから「自分を生きていない」ということなんです。

 

 

 

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いったい誰のために生きてるのだろうか?

 

その疑問は常に自分の中にあるはずなのに、蓋をして心の奥に押しやって、見ないふりをしている。

 

 

そんなことをしているから、気付けば自分が他人の人生に「あれやこれや」と口出しをするようになる。

「私が人目を気にして自分を曲げて生きているのだから、あなたも人目に適うように生きなさい」・・・と。

 

 

 

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自分の人生は自分の責任

 

自分の人生は誰のせいでもなく自分の責任です。

とやかく言っているその誰かは、決してあなたの人生の責任など負わないというのに、何故、誰かの無責任なジャッジを気にするのか?

例えそれが親であれ誰であれ、人生の責任は本人にしかないのですから。

 

「あなたが言ったからこうしたんだから責任取ってよ!」

などということは通用しません。

誰も責任は取らないし、取れないのだから。

 

 

だから、誰が何と言おうと

「自分の人生は自己責任だから自分で決める」

それが「自由」というものです。

 

自らが由(よし)とする選択・・・

だから自由と言うんです。

 

 

もし、自分がとやかく言った相手に「責任取って」と言われて、責任取りますか?

取らないですよね。

 

 

 

誰の目を気にして、誰の言葉を気にして、誰のジャッジを気にして・・・

自分の選択は本当に自分の意思ですか?

自分を騙してはいませんか?

 

 

 

全ては鏡です。

人をジャッジしてあれこれ言っているなら、あなたはジャッジされるのを気にして、あれこれ言われるのを気にして人生を選択しているということです。

自分の価値観を誰かに押し付けているなら、あなたは誰かの押し付けられた価値観を気にして選択しています。

陰口を言うなら、陰口を恐れているということです。

 

何故、鏡となるのか?

 

それは、恐れから身を守るため、「恐れているもの」で防御するからです。

 

自分が一番恐れているものが、最も自分を守れる「盾となる」と思うからです。

そして、更に安心を得るために「先制攻撃」をします。

「攻撃は最大の防御」ですから。

 

 

 

これらはものすごい「負のスパイラル」に陥っていることになります。

最も恐れるものから身を守るため、その最も恐れるものを自ら手にする。

手にするためにその中に入り、最も恐れるものを「安心」「安全」を保証するもの・・・と思ってしまう。

「恐れに取り込まれた」状態です。

 

 

「虎穴に入らずんば虎子を得ず」

虎を最も恐れるため、虎を番犬(盾)にしようとして、その虎を得るために虎穴に入る・・・

何をやっているのでしょうか・・・(^^;

 

 

前回の満月の時にも書きましたが、その「正義の鎧・良識の盾」というのは、あなたが最も恐れている「誰か」の言葉でありジャッジであり無責任な口出しであるはずです。

 

わざわざ恐れているもの(鎧)を着込んで、恐れているもの(盾)をかざして、傷ついた自分と同じように誰かを傷つけて・・・

 

 

 

人に対してあれこれ指図したりジャッジしたりするのは、とても「傲慢」なことです。

「あなたのために言っているの」

という言葉も「嘘」であり「傲慢」であり、単なるわがままでしかありません。

なぜなら、その人のために言っているのではなく、自分の「満足」ために言っているだけだからです。

 

 

・・・・・・

 

 

自分が何かを選択するとき、「この選択はどう思われるだろうか?」という判断が心に浮かんだり、その時誰かが思い浮かんだりして、それを判断要素にしているなら、すでに「自分を生きる選択」では無くなっているでしょう。

 

「言われるから」

「言われたくないから」

「思われたくないから」

「嫌われたくないから」

 

それで選択をしてしまえば、「自分を放棄」したということです。

 

 

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自分とは?自由とは?

 

自由をはき違えてしまい、自我のエゴに囚われて、自我の欲求に流されて、自分を見失ったままの人も多いのかもしれません。

相変わらず「ミスリード」が氾濫していますから。

鎧と盾に「自由」と彫り込んで、単に意匠を変えただけの状態です。

 

結局は、新たな誰かの目を気にして生きる選択をしているだけのものです。

そんな「不自由な自由」を盾にして、再び誰かを攻撃し始める。

同じことの繰り返し・・・・・・

 

 

 

自分の声を聞いてください。

 

誰かの目に、誰かの言葉に、誰かの陰口に、誰かの常識に反応した自分の声ではなく、純粋な自分の声を聞いてください。

 

自分は何処にいるのか?

自分は何を語りたがっているのか?

自分は何をしたがっているのか?

 

世間がどうとか、人がどう思うとか、誰かに言われるからこうする・・・ではなく。

 

自分は本当はどうしたいのか?

何故しないのか?

何故していないのか?

そして、自分がそうすることが、何故ダメだと思うのか?

 

ひたすら自分に対して、まるで子供のように「なんで?なんで?」を繰り返し問いかけていくと、ようやく現れてくる邪魔者。

そして痛みや悲しみや恐れ・・・・

 

 

ひとつづつ、ひとつづつ・・・

丁寧に癒していくことで、魂が息を吹き返します。

 

その魂は、ずっとあなたに語りかけていたはずです。

過去を遡(さかのぼ)て自信を顧(かえり)みれば、一貫した「魂の意思」に気付くでしょう。

その魂の真ん中にある意思

それをこの世でやり遂げることが、あなたが本当にしたいことのはずです。

 

自我の真ん中にその意思を置くことが出来れば、本当の自由を得られるでしょう。

恐れのせいで自我の真ん中に置いてしまった「エゴ」を払い退けて、魂の意思を真ん中に据えたとき、あなたの本当の人生が始まります。

 

 

それが「在るべき自分」の姿です。

そして「本来のあなた」に生まれ変わります。

 

美しく、揺るぎなく、優しく、輝いた自分へと生まれ変わるでしょう。

 

 

 

・・・北野坂如水庵