セラピストとして、そしてヒーラーとして | 神人一致の癒奏術・響庵

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昨日、とあるお客様の施術をさせていただきました。

 

いつものようにボディメンテナンス的なセラピーなのですが、その方が数日前から「飛蚊症」になっていると言っていました。

 

病院に行って薬(ビタミンなどの栄養剤)を処方してもらい、飲んでいるとのことでしたが

 

「効かない」とおっしゃっていました。

 

「まぁ飛蚊症自体が治療と言うよりそういった栄養素的な側面があるから、飲み続けてたらいいですよ・・・」

 

という話をしたりしていました。

 

 

今日、その妹さんから「姉から『飛蚊症が良くなってる』と連絡があった。驚いてます。」と、こちらに報告がありました。

 

「巡りが良くなって栄養が目に届きやすくなったからでしょう」というふうに言って、納得のしやすい理由を付けましたが、実際のところはどうなのでしょうか?

 

 

 

これがこうなってこのような結果に至るんです・・・と言えないものがたくさんあります。

 

 

 

連絡してきた妹さんも「先日からメニエール病で困ってます」と言っていました。

 

酷くはないけどめまいと耳鳴りがして、スマホの画面をスクロールするだけでクラクラすると言っていました。

 

 

なんとなく第5チャクラだなと思って「ドレミファソラシドのソの音を目いっぱい出してください」と言うと

 

「ちょうどソの音が出にくかったんです」とのことでした。

 

ちなみにその方は声楽家の方です。

 

 

このブログ読んでるかな?

 

 

 

 

 

 

チャクラ

 

ちょうど喉のあたりにあるチャクラで、人体的には甲状腺や副甲状腺を司ると言われ、コミュニケーションや表現、話すこと、聞くことにかかわるチャクラと言われています。

 

音階のソの音(G音)は741Hzで、第5チャクラの周波数帯にあたります。

 

第5チャクラに不具合が生じると、話すことや聞くことに制限がかかると言われています。

 

 

人の話をちゃんと聞けなかったり、自分のことをちゃんと伝えられなかったりというコミュニケーションの不具合になったり、のどに詰まった感じやイガイガした感じが出たり、人それぞれ様々な現れ方があるようです。

 

邪気がここに溜まったりしても同様の症状が出るようです。

 

 

身体に触れてセラピーをすると、この症状が取れたりします。

 

証明できるような理由や根拠はありませんが、症状が無くなっているという事実は厳然として残るわけです。

 

ただ、自分で分かっている事は、筋肉や腱やリンパや骨や・・・・そいったものを物理的に何をどうしたというものでは「無い」ということです。

 

現在のセラピーは「物理的」な解釈を求めます。

 

そこを超えたものは「排除」されるわけです。

 

 

 

 

明らかにボディセラピストのセラピーとしての結果を超えたものがたくさんあります。

 

それらを今までは単純な理由付けをしようとしてきていましたが、やはり無理があるのですね。

 

 

それでは、そんな癒しを何と呼ぶのか?

 

それが「ヒーラー」「ヒーリング」というものなのでしょう。

 

 

ただ、何をもって「ヒーラー」なのか?という疑問もあります。

 

それで今まで悩んできていたわけですが、よくよく考えてみると「何をもって」という限定をする必要があるのか?

 

・・・ということです。

 

 

 

たぶん、限定をしてしまったら、今度は「可能性」が限られてくるでしょう。

 

誰それのヒーリングを習った、だからヒーラーだ・・・というような次元の低い解釈では、やはり可能性は限定されるでしょう。

 

次元上昇している最中に前時代的な次元の理解や解釈をもっても仕方のないことだと思います。

 

 

 

ですから、とりあえずは人それぞれの理解の過程や理解の仕方というのがありますので、人それぞれに合った説明をその都度していけばいいかなと思います。

 

 

とにかく出来てしまうものは出来てしまうのですから、それを文句を言われても仕方がありません。

 

 

と、そのような開き直り方をして、自分自身のヒーリングの力を認めてしまおうというわけです。

 

 

 

 

人は理解不能なことに出くわしたら、拒絶したり、理解の枠の中に無理やり押し込めようとします。

 

それは自我の防衛本能だから致し方ありません。

 

 

「見たいものを見たいように見る」のが自我の本質ですから。

 

チャクラ的に言えば「第6番が曇っている」という捉え方もできますね。

 

「聞きたいことを聞きたいように聞く」のは5番チャクラの曇りですね。

 

 

曇りそのものは決して本人が悪いわけではないのでしょう。

 

常識として言われてきた事柄が曇らせているだけなのですから。

 

 

 

 

今後、セラピストとしての自分がどのように変化していくのかはわかりません。

 

たぶん自分自身が変わるというよりは「認識のされ方が変わる」のだろうと思います。

 

 

今までは邪気を吸い取っても黙っていたり、それとなくセラピーに紛らせてやっていたヒーリングですが、このヒーリングの可能性をもっと広げたいと思い、今後は「ヒーラー」としても宣言してやっていきたいと思っています。

 

実際、わからないことが多いのも事実です。

 

ただ、その理解が深まれば可能性はもっと広がると思っています。

 

 

その可能性の先にあるのが、過去のヒーリングの経験です。

 

 

 

 

 

 

最初のヒーリング

 

 

今から20年ほど前になると思います。

 

自転車で買い物に行き、買い物をして「さぁ帰ろう」と自転車のところに来ると、かごの中に小さめの段ボール箱が入れられていました。

 

「誰だ!ごみを入れたのは」と思って箱を取り出すと、中から「ミャー」という声が・・・

 

開けてみると、何とも小さな生まれて間もない猫が1匹入っていました。

 

 

「まるで捨て子だな・・・」

 

ミャーミャー泣いているトラ柄の子猫を見ていて、更に捨てる気にはなれず仕方なく家に連れて帰りました。

 

連れて帰ったはいいんですが、さて何をどうしたら良いのやら・・・

 

おなかが空いているだろうということで、とりあえず牛乳を飲ませてみると、おいしそうに飲んではいますが、どこか力なく感じられる。

 

もしかすると長い間食事も与えられずに放置されていて、元気がないのかもしれません。

 

頭を持ち上げる力もなく、お皿に顔を載せて下を出し入れしている姿は可哀そうでした。

 

 

その後もしばらくミャーミャーと小さな声で鳴いていましたが、やがて静かになって息を引き取りました。

 

力なく脈打っていた心臓も止まってしまい、なんとも言えない気分でした。

 

 

舌を出したままぐったりした姿で息絶えた子猫を、手のひらに乗せてぼーっと撫でていたのを覚えています。

 

「最後にミルクを飲めてよかったのかな?」

 

そんなことを考えながら、ぼーっと撫でていました。

 

そんな状態で4~5分くらい経ったでしょうか・・・

 

 

手の中の子猫が突然

 

「ミャー・・」

 

鳴き始めました。

 

え?!

 

 

 

・・・・・・・え?!

 

 

 

 

 

 

証明

 

 

先日、とある方のブログを拝見したときに、医学博士で量子物理学を研究しておられる方の言葉に「セラピストとしての成長と科学的根拠の証明は反比例する」という言葉を見つけました。

 

これは私にとって非常にありがたい言葉でした。

 

この、たった一言の言葉に救われた思いです。

 

 

出来るものは出来る・・・しかし根拠を立証出来ない。

 

それが自分の持てる力を抑えるというブレーキになっていましたから。

 

 

ですが、その言葉を見たときに

 

「あぁ、別に立証しなくてもいい。出来ることを出来る限りやればいい」と思えるようになったわけです。

 

 

きっと、やっていれば自ずと見えてくるものもあるでしょう。

 

ただ、やらなければいつまでたっても見えないのは確かです。

 

それなら、「出来る限りの最善を尽くす」というゆらぎセラピーのコンセプトのもと最大限に最善を尽くしたいと思います。

 

 

 

セラピーとしての知識や技術、そしてヒーラーとしての可能性の接点に、素晴らしいものがあるのではないかと思っています。

 

別なものとしてあるものを、レイヤーを重ねるようにして見たとき、思いもよらない可能性が見えるのかもしれないと思っています。

 

 

そうして続けていけば、20年前にあの子猫に何が起こったのかも、やがて解るのかもしれませんね。