
心を静めて「空」にすることで、手先、指先から伝わって心に「心像風景」が映ります。
自分自身が人の体内に入り込んだような感覚です。
あくまでもイメージの世界ですが、そのイメージはとても大切です。
そして、「共感」し「受容」する。
この心の姿勢がないと入ってきません。
実は接点である肌と肌が頭(脳)を通さずに語り合っています。
お客様の頭は「癒し」を求めていても、「肌」が拒絶すれば癒しにはなりません。
皮膚科学の分野では既に「皮膚は独自に思考する」という風潮が出てきています。
そして、皮膚が出した答えを脳に送る・・・という順序が成り立っているわけです。
だから肌感覚というものはとても明敏で、そこでまずは語り合う必要があります。
かりに、セラピストに邪気があれば、お客様の肌は敏感にキャッチします。
そして邪気を拒絶すべく反発する「気」が出てきます。
そうなると「癒し」を与えることは決して出来ません。
肌との対話はとても大切です。
気が立っていたり、気が乱れていたら、ゆっくりと気を静めることが先決となります。
それにはこちらの「気」が張っていては、鋭利な気となりますので、緩んだ柔らかい気持ちで接していきます。
柔らかい気が相手の気を緩め、そうして静まった「気」が肌を緩め、身体を緩め、最終的に心を緩めるようになります。
自他の「気」の差が無くなると、気はあたかも一つの身体のように流れ始めます。
「繋がる」とはこのことです。
こうして繋がると、手先、指先から情報が入り、心に心像風景として映ります。
その風景、体内に潜り込んだかのような景色の中を観ながらセラピーしているわけです。
そうしていると、やがて「淀み」に行き当たります。
身体の不調個所や滞りのある場所で「気の淀み」が起こっています。
気が交流しているので、触れるとこちらに伝わります。
そして不調個所を解きほぐすと、一気にこちらに流れ込んできます。
手を伝って、ちょうど心臓のあたりに流れ込んできます。
初めのころは、この淀みが流れ込んでくると何とも言えない違和感というか、苦しいというか・・・・
そんな日々が続いていましたが、最近は慣れてきて浄化できるようになりました。
また、不調をそのまま鏡のように我が身に写し取ってしまうこともあります。
『あぁ、ここも不調なんだな』
と、わかるわけです。
それ以外にも様々なものを吸い取るように写し取ってしまいます。
正直、初めのころは大変でした。
不調が移るんですから・・・・
でも相手の不調は無くなっている。
だから『まぁいいか』という感じでした。
今はなんとか浄化するなりどこかへ離すなり出来るようになりましたので、不調を持って帰るようなことは無くなりました。
「繋がる」というのは、こういうことが起こります。
「共感」と「受容」
そして、器たる「空の心」
器たる心が大きければ大きいほど受容出来るものは大きくなります。
繋がることで悪いものを引き寄せるばかりではありません。
とても善い「気」を頂くことも多々あります。
そんな「気」が強いと心に映る心像風景が「オーラの色」一色に染まったりもします。
とても暖かく心地いい感覚です。

そんな「気」を与えられるほど溢れるようにしたいと思います。
そして、そんな「気」が呼び水となって、溢れるほど身体に満ちるように、湧き出る泉の如きセラピーを心がけています。
「気」と呼んではいますが、これが生命の源となるエネルギーなのでしょう。
繋がる場所は肌と肌の接点だけではありません。
心の奥へ進んだところ。
そこに泉の源泉があります。
そして、そこが「繋がる」もう一つの場所でもあります。
生命のゆらぎを癒す ゆらぎセラピー
それは、生命の泉を満たすセラピーでもあります。
光がゆらぐ泉
その無限の井戸を満たすためのセラピーです。
それは、繋がることでようやく手が届きます。
