おもむろにスピリチュアルなお話 | 神人一致の癒奏術・響庵

神人一致の癒奏術・響庵

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今年の初め頃から今のお店「tanton」でお世話になっているんですが、その最初の頃に、とあるスピリチュアルな方(同年代の女性の先生)に「今後」を見てもらいに行ったわけです。

 

で、その先生とお会いして、向かいの席に座って「これ書いてください」と渡された紙に、名前や生年月日などを書き始めて・・・・・・

 

「なんかじっと見られてるなぁ(^_^;)」

 

と思っていたらおもむろに先生の口から

 

「あなた・・・前世でハーブ触ってましたねぇ。ん~~、ハーブとか漢方薬とか・・・」

 

 

「こ・・・これは・・・・!!」

 

 

わが灰色の脳細胞は瞬間的にフル回転し、今日初めて会ったこの人が、こちらの情報をあらかじめ入手したり出来る可能性や、入手経路予測、それをする必要性、そこまでして得られるメリットやデメリットなどなどを、ほんの一瞬で思考し回答を導き出した。

 

まさに「そこまでやる意味がない」

 

 

で、「ハーブですかぁ・・・」と、とぼけた声で回答した。

 

すぐに答えを確定しない我が灰色の脳細胞のニクさグラサン

 

 

 

 

そのままハーブの話は終わり、いろいろ話をしたりしていたら一時間近く経っていた。

 

30分ほどの約束だったが長くなってしまっていた。

 

そこでわが灰色の脳細胞は再び「さっき言っていたハーブってどんなんですか?」

 

と、聞いてみた。

 

まさに探偵の灰色の脳細胞である。

 

終盤に来てから再度確かめるところがニクいニヤリ

 

 

すると先生は虚空を見つめるように脳裏に映ったものを眺めながら

 

「ハーブやら薬草などを煎じたり、自分でその薬効を飲んで確かめたり・・・・・・・あっっ!!危ないっ!!!」といきなり叫んだりあせる

 

「危ないから自分で確かめたりしてはダメですよ!!」と怒られたりショボーン

 

どんな映像が見えていたんだろうか(^^;

 

 

 

前世の業なのか、それとも道なのかはわからないが、かつて歩いた道を歩いているのだろうか

 

過去(前世)と違って今では「薬効を自分で確かめる」という必要性は薄れている

 

しかし、未だ自分で確かめたい衝動はあり・・・・

 

やはり業なのかな?とも思う

 

 

 

 

今更ながら前職が私立探偵だが、探偵と言えば論理と実証というイメージが強い。

 

しかし、それはドラマや小説の中の話で卓上の論でしかない。

 

我々の仕事では「報告書」の段階だけである。

 

現場で必要なのは「直感」と思考の「瞬発力」

 

一瞬の刹那での選択の連続なのである。

 

 

警察でもそうだが、尾行の鉄則として最初に教えられるのが「背中を見つめるな!」である。

 

背中を見つめると相手が視線を感じて振り向いてしまう。

 

この世界は入り口から既にスピリチュアルなのです。

 

 

人捜しの場でも論理的思考より「すう~っと吸い寄せられる」ように何故か向かってしまった先で見つけたり、特に亡くなってしまっている人の場合は論理的思考など無駄である。

 

心を無にしていれば、自然と近くにこちらが寄って行ってることも多い。

 

 

無理に思考で論理付けようとすると、思考の中に余分な物が混じり込む。

 

こうであればいいとか、こうあってほしいとか・・・そういった感情が紛れ込むと、導き出される回答は真実からかけ離れてしまう。

 

 

直感とは、最も純粋な思考過程から導き出された回答であり、そこには言語的な論理ではなく自然界の論理で思考されているのである。

 

その素早さが紙一重も挟まる余地が無く、よって余計な感情や思考が混じらないからこそ理想的な回答が導き出されるわけである。

 

言葉は全て後付けでしかない。

 

そう・・・報告書のように。

 

 

 

我が灰色の脳細胞が先生の中に観ていたものは、そこ・・・

 

思考の中に何かを挟み込む瞬間があるかを観ていたわけである。

 

あらかじめ情報を仕入れたり、人の反応をうかがいながら話したりしていれば、思考の隙間が生まれる。

 

こちらの反応で感情が揺らげば、感情が思考の隙間に入る。

 

ほんの一瞬リズムがぶれるのである。

 

その一瞬の見極めの中で「真実」と確信した次第である。

 

前世がハーバリストなのかどうかの真実ではなく、目の前の方が脳裏に映った映像を追いかけながら、溢れてくる言葉を紡いでいるだけ・・・という真実

 

 

嘘のない言葉を受け取るということが大切なのだろうと思う。

 

 

そうして今、わたくしはアロマ侍というふざけた名前でこのブログを書いている次第です。

 

 

 

まあ今までの人生を振り返ると、自分は恐らく忍び者だったのだろう。

 

山に入れば薬草を採取し、自ら薬を作るのは忍の常識。

 

そして、修験道に惹かれていたのは修験者系の忍ということか・・・・

 

・・・・と、こういう後付けの思考が探偵小説の論理というわけだ。

 

 

 

 

自分に前世の記憶がないという時点で、前世がなんであれどうでもいいのだろうと思う。

 

自らの中から自然と湧き出てくる想いに、忠実に生きられたらそれが何より・・・なんだろう。