『麒麟がくる』第43回―波多野家について | 歴史愛~歴史を学び、実生活を豊かにする~

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「温故知新」とは言いますが、世の中を見渡すと表面的な教訓ばかりでイマイチ実生活に活かすことのできない解説ばかりです。歴史的な出来事を、具体的な行動に置き換えて実生活をより豊かにし、願望を実現する手助けになるように翻訳していきます。


※こちらの記事は、令和3年3月24日に書かれたものです。

皆さんこんばんは。
今回は令和2年の大河ドラマ『麒麟(きりん)がくる』第43回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。

大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。

【『麒麟がくる』の楽しみ方】
・第1~2回―当時の三傑と明智家/リアルな戦の描写・第3~4回―美濃の情勢/織田家の状況
・第5~6回―当時の京都の情勢・第7~8回―尾張国内の政治情勢/当時の三河情勢
・第9~10回―土岐一族とは/織田家の血縁関係・第11~12回―なぜ朽木谷か?/信長家臣団の萌芽
・第13~14回―戦国最強の傭兵団/村木砦の戦い・第15~16回―織田一族の関係性/新九郎高政の重臣たち
・第17~18回―斎藤家の血族関係/永禄元年までの織田家・第19~20回―足利将軍家の動き/桶狭間の戦い
・第21回―松平蔵人の親族
・『麒麟がくるまでお待ちください』第2~3回―斎藤道三二代説/前田利家の生涯
・『麒麟がくるまでお待ちください』第4回―羽柴藤吉郎の名称
・総集編第1回・第22回―三好氏の血縁関係
・第23回―三好氏の血縁関係(2)・第24回―剣豪の系譜
・第25回―朝倉氏の系譜・第26回―摂関家の系譜
・第27回―会合衆とは何者か?・第28回―摂津晴門とは何者?
・第29回―押領と何か・第30回―三淵氏の来歴
・第31回―浅井家の来歴・第32回―森可成とは?
・第33回―延暦寺の歴史・第34回―松永弾正の出自
・第35回―細川藤孝について・第36回―足利家について(1)
・第37回―足利家について(2)・第38回―斎藤内蔵助について
・第39回―原田備中守について・第40回―松永弾正の茶器
・第41回―赤井悪右衛門について・第42回―荒木摂津守について


まずはあらすじ。



第43回のあらすじ


天正(てんしょう)7年(1579年)、ようやく丹波(たんば)を平定した明智十兵衛〔日向守〕光秀(長谷川博己)。
十兵衛は最後まで抵抗した波多野(はたの)兄弟を許し、主君・織田前右大臣信長(染谷将太)のいる安土(あづち)城へ送った。

その後十兵衛は与力(よりき)・細川兵部大輔藤孝(眞島秀和)とともに丹波・丹後(たんご)平定の挨拶に安土城を訪れるが、そこで塩漬けにされた波多野兄弟の首を見せられ驚愕するのであった。

その時信長から、彼が以前から画策していた帝(みかど)(坂東玉三郎)の譲位の前段階として春宮(とうぐう)(加藤清史郎)に二条(にじょう)の新御所にお渡りいただくと告げられ、その奉行(ぶぎょう)を命じられる。
十兵衛と藤孝はその行き過ぎた信長の行動に疑問を感じる。

天正8年(1580年)4月にはついに大坂本願寺(おおさか・ほんがんじ)が降服したが、その本願寺攻めの総大将だった佐久間右衛門尉信盛(金子ノブアキ)が追放された。
十兵衛はそのころ、自分が月まで届く樹を切ろうとしている不思議な夢を見るようになった。
その樹のはるか上の方には主君・信長がおり、月を目指して登っているのであった。

天正10年(1582年)3月には織田(おだ)家は甲信(こうしん)の雄・武田(たけだ)家を滅ぼし、長年武田家と対峙(たいじ)してきた徳川権右少将家康(風間俊介)をねぎらうため、十兵衛はその饗応役(きょうおうやく)に任命された。

ということで、




第43回「闇に光る樹」の感想


面白かったです!

見どころが多すぎて、感想を詳しく書くとそれだけで結構な文章量に達しそうですw

まずは、いつも言っているように信長と十兵衛の心が離れていくのが丁寧に描かれていてよかったです。

波多野兄弟の処刑は今までのドラマでも描かれていた内容ですが、やはり改めて見るとショックを受けますね。

そして、今回のドラマで初めて描かれたのかなと思うのが、信長が正親町帝(おおぎまちのみかど)の譲位を迫っていた問題に関する描写。

本能寺(ほんのうじ)の変で嫡子(ちゃくし)・左近衛中将信忠が自刃(じじん)した二条御所造営のエピソードは初めて見た気がしました。

本能寺の変についての記事を読みたい方は、下記リンクをタップしてください:
本能寺の変に学ぶ―覚悟を決める

そして、これが十兵衛が信長に違和感を感じる要因のひとつとなる、という展開も初めてでした。

そのあとはお馴染みの、安土城での徳川家康饗応の描写。

いつもながら、森三左衛門の子・蘭丸成利が悪く描かれていたのはちょっと複雑ですが、いじめられる十兵衛の反撃にちょっとスカッとしましたw

関連記事:
『麒麟がくる』第32回―森可成とは?




第43回の楽しみ方―波多野家について―


今回は、明智十兵衛〔日向守〕光秀(以降「日向守」)が助命したにもかかわらず、織田前右大臣信長(以降「右府」)の一存で処刑されてしまった波多野家の来歴について書きたいと思います。

波多野家は元々は佐伯(さえき)氏の一族だったと言われています。

河内源氏(かわちげんじ)棟梁(とうりょう)・鎮守府将軍源頼義に従い前九年(ぜん・くねん)の役に出陣した佐伯経範が相模国波多野荘(さがみのくに・はたののしょう)(現在の神奈川県秦野市(かながわけん・はだのし))に勢力をもち、「波多野」の名字を名乗ったのが始まりだそうです。

佐伯経範の妻は秀郷流藤原氏(ひでさとりゅう・ふじわらし)の出だったそうで、その縁で波多野家は藤原氏を名乗っています。

河内源氏ともめながらも最終的には鎌倉御家人(かまくら・ごけにん)として認められ、越前(えちぜん)に根付いた一族もいます。

今回話題になっている丹波波多野家の出自には諸説あるのですが、一番有力なのが、石見(いわみ)の吉見(よしみ)家の一族だという説です。

吉見家の人物が、応仁(おうにん)の乱で有名な管領(かんれい)細川右京大夫勝元に仕え、丹波に土着したという説です。

この人物は母が上記、秀郷流藤原氏族の波多野家の出身であったため波多野の名字を名乗ったと言われています。

この人物が波多野清秀という丹波波多野家の初代に当たる人物で、彼の子孫は八上(やかみ)城を中心として活躍したため八上波多野家と呼ばれています。

また清秀には弟がおり、その弟の子孫は氷上郡(ひかみぐん)を中心に活躍したため氷上波多野家と呼ばれています。
※荒木摂津守村重の荒木(あらき)家はこのどちらかの波多野家の一族ということです。

関連記事:
『麒麟がくる』第42回―荒木摂津守について

以降、丹波守護(しゅご)であり管領家である細川京兆家(ほそかわ・けいちょうけ)に重用され、一時は波多野家自体が「丹波守護」と言われるまでに勢力を伸ばしますが、波多野孫四郎元秀の代に三好(みよし)家と争い没落します。

永禄(えいろく)7年(1564年)の三好修理大夫長慶の死後に勢力を盛り返しますが、永禄11年(1568年)には赤井悪右衛門直正とともに織田右府信長の軍門に降っています。

関連記事:
『麒麟がくる』第41回―赤井悪右衛門について

天正3年(1575年)の明智日向守の丹波討伐には、八上波多野家を継いだ波多野右衛門大夫秀治が明智(あけち)軍として参加しています。

しかし、翌天正4年(1576年)にはなぜか将軍家(しょうぐんけ)足利権大納言義昭の呼びかけに呼応し、右府と対立します。

関連記事:
『麒麟がくる』第38回―斎藤内蔵助について

その後はドラマで描かれたように、天正7年(1579年)に明智日向守の軍勢に敗れ、右衛門大夫は弟らとともに処刑され、戦国大名(せんごく・だいみょう)としての波多野家はここに滅びます。
※氷上波多野家の子孫は現代にも続いており、学習院長などを輩出していいます。

丹波国内で一時栄華を極めた波多野家も、右府の強力な軍事力の前に滅び去ってしまったのです。

こんな感じで、ドラマの背景にある知識が分かるとドラマをもっと楽しめます!

最後まで読んでいただきありがとうございました!

以下もご覧ください!

※トップ画像はイメージです。

○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・明智〔惟任〕 日向守〔通称は十兵衛〕 源〔大神〕 朝臣 光秀
あけち〔これとう〕 ひゅうがのかみ〔通称はじゅうべえ〕 みなもと〔おおが〕 の あそん みつひで
・織田 前右大臣兼前右近衛大将〔右府。通称は三郎〕 平〔藤原、忌部〕 朝臣 信長
おだ さきのうだいじんけんさきのうこんえのだいしょう〔うふ。通称はさぶろう〕 たいら〔ふじわら、いんべ〕 の あそん のぶなが
・細川 兵部大輔〔通称は与一郎〕 源 朝臣 藤孝〔幽斎玄旨〕
ほそかわ ひょうぶのたゆう〔通称はよいちろう〕 みなもと の あそん ふじたか〔ゆうさいげんし〕
・方仁〔諡号:正親町帝〕
みちひと〔諡号:おおぎまちのみかど〕
・誠仁親王〔追号:陽光院〕
さねひとしんのう〔追号:ようこういん〕
・佐久間 右衛門尉〔通称不明〕 平 朝臣 信盛
さくま うえもんのじょう〔通称不明〕 たいら の あそん のぶもり
・徳川 右近衛権少将〔権右少将。通称は次郎三郎〕 源 朝臣 家康
とくがわ うこんえごんのしょうしょう〔ごんのうしょうしょう。通称はじろうさぶろう〕 みなもと の あそん いえやす
・織田 左近衛中将〔通称は勘九郎〕 平〔藤原、忌部〕 朝臣 信忠〔信重〕
おだ さこんえのちゅうじょう〔通称はかんくろう〕 たいら〔ふじわら、いんべ〕 の あそん のぶただ〔のぶしげ〕
・森 三左衛門 源 可成
もり さんざえもん みなもと の よしなり
・森 (通称不明。幼名は乱、もしくは蘭) 源 成利〔長定〕
もり (通称不明。ようみょうはらん、もしくはらん) みなもと の なりとし〔ながさだ〕
・鎮守府将軍 源 朝臣 頼義
ちんじゅふしょうぐん みなもと の あそん よりよし
・(官職・通称不明) 佐伯 (朝臣?) 経範
(官職・通称不明) さえき の (あそん?) つねのり
・細川 右京大夫〔京兆。武蔵守。通称は六郎〕 源 朝臣 勝元
ほそかわ うきょうのだいぶ〔けいちょう。むさしのかみ。通称はろくろう〕 みなもと の あそん かつもと
・波多野 (通称・官職不明) 藤原 清秀〔秀長〕
はたの (通称・官職不明) ふじわら の きよひで〔ひでなが〕
・荒木 摂津守〔信濃守、通称は弥助〕 藤原 朝臣 村重
あらき せっつのかみ〔しなののかみ、通称はやすけ〕 ふじわら の あそん むらしげ
・波多野 孫四郎 藤原 元秀
はたの まごしろう ふじわら の もとひで
・三好 修理大夫〔筑前守。通称は孫次郎〕 源 朝臣 長慶
みよし しゅりのだいぶ〔ちくぜんのかみ。通称はまごじろう〕 みなもと の あそん ながよし
・赤井〔荻野〕 悪右衛門 源 直正
あかい〔おぎの〕 あくうえもん みなもと の なおまさ
・波多野 右衛門大夫〔正式な官職名、通称は不明〕 藤原 朝臣 秀治
はたの うえもんのだいぶ〔正式な官職名、通称は不明〕 ふじわら の あそん ひではる
・征夷大将軍 足利 権大納言〔通称不明〕 源 朝臣 義昭〔義秋、一乗院覚慶〕
せいいたいしょうぐん あしかが ごんのだいなごん〔通称不明〕 みなもと の あそん よしあき〔よしあき、いちじょういんかくけい〕
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

参考
テーマ曲出ボーカルを担当された堀澤麻衣子さんのブログでです。
MAIKO HORISAWA
ぴえーるのテレビブログ
telling,

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