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※こちらの記事は、平成20年10月13日に書かれたものです。
こんばんは。
今回は新宿(しんじゅく)についてのあらましを調べて書いてみようかと思います。
今でこそ世界で一番乗降者数の多い駅を抱える大繁華街ですが、江戸(えど)時代以前は野原とか田んぼとかそんなもんだったようです。
※令和5年7月28日注:江戸に辺りは火山灰地のため、田んぼはなく畑だったと思われます。
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安土桃山(あづち・ももやま)時代になって、豊臣秀吉(とよとみ の ひでよし)により江戸入府を命じられた徳川家康(とくがわ いえやす)が、自分が入る前に有力家臣内藤清成(ないとう きよなり)を甲州街道(こうしゅうかいどう)と鎌倉街道(かまくらかいどう)が交差する付近に置いたのが始まりだそうです。当時は小田原北条(おだわら・ほうじょう)氏の残党がこの付近を跋扈(ばっこ)しており、いきなり家康が入るのは危険だったということで。
現在の新宿二丁目付近とのこと。
のち内藤清成はこの新宿二丁目付近に屋敷を与えられ、それが現在の新宿御苑(しんじゅくぎょえん)を含むあの辺一帯です。四谷(よつや)、代々木(よよぎ)、千駄ヶ谷(せんだがや)、大久保(おおくぼ)にまたがる地域だったそうですから、それこそ今の新宿御苑は旧内藤屋敷の一部に過ぎず、一般的に僕らが「新宿」と呼んでいる地域の大部分が清成の屋敷だったようです。
で、江戸時代になって宿場(しゅくば)が作られました。
当時は日本橋(にほんばし)から甲州方面へ向かう場合、最初の宿場が高井戸(たかいど)だったそうで、旅人たちは苦労していたそうです。
確かに今でも日本橋から高井戸まで歩くことを考えるといやになります(笑
そこで、それに目をつけた喜兵衛(きへえ)という浅草(あさくさ)の名主(みょうしゅ/なぬし)が、内藤屋敷の一部を利用して宿場を開設することとなり、その宿場が歴史の教科書にも出てくる「内藤新宿(ないとうしんじゅく)」だそうです。
当時の中心地は新宿通り沿いの、新宿一丁目から三丁目交差点あたりだったとどこかに書いてあった気がします。今とあんまり変わりませんが。
あんまりやると長くなるので、今回はこの辺にしておきます(笑
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