小田原征伐に学ぶ―相手に口実を与えない | 歴史愛~歴史を学び、実生活を豊かにする~

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「温故知新」とは言いますが、世の中を見渡すと表面的な教訓ばかりでイマイチ実生活に活かすことのできない解説ばかりです。歴史的な出来事を、具体的な行動に置き換えて実生活をより豊かにし、願望を実現する手助けになるように翻訳していきます。


※こちらの記事は、令和3年5月7日に書かれたものです。

皆さんこんばんは。
今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第43弾として、「小田原征伐(おだわらせいばつ)」について、ビジネス的視点で学んでいこうと思います。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。

【ビジネスに活かす戦国合戦術シリーズの過去記事(抜粋)】
第8回 金ヶ崎城の合戦第11回 一言坂の合戦
第12回 三方ヶ原の合戦第13回 野田城の合戦
第14回 叡山焼き討ち第22回 江古田原沼袋の戦い
第23回 天目山の戦い第26回 石山合戦
第32回 三木合戦 第35回 本能寺の変
第41回 人取橋の戦い第42回 摺上原の戦い


※『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の小和田哲男氏の記事をベースに他ブログさんの記事などを参考にさせていただいております(下記)。

新型コロナウイルスの影響で緊急事態宣言が発布されたり解除されたりと目まぐるしい状況ですが、皆さんは宣言に忠実に従っているでしょうか?

結局のところ、罰則のない法令に従うかどうかは個人の判断にゆだねられる結果となり、個人個人が自分の都合に合わせて守ったり守らなかったりしているのが現状と思われます。

しかし、法令は守った方がいいです。

なぜか?

そのヒントが、今回取り上げる戦に隠されています。

というわけで今回は、北条(ほうじょう)家が羽柴(はしば)家に敗れた小田原征伐から「相手に口実を与えない」ということを学びます。




小田原征伐までの流れ


天正(てんしょう)15年(1587年)、九州(きゅうしゅう)を平定した関白羽柴内大臣秀吉は関東(かんとう)・奥羽(おうう)「惣無事令(そうぶじれい)を発令し、私的な戦を禁じます。

九州平定に関連する記事を読みたい方は、下記リンクをタップしてください:
戸次川の戦いに学ぶ―逸って決断してはいけない

関東の雄、北条家はそれまで羽柴家に従う姿勢を見せていましたが、天正17年(1589年)、北条安房守氏邦の家臣・猪俣能登守邦憲が突如、真田(さなだ)領であった上野(こうづけ)・名胡桃(なぐるみ)城を奪取し、北条家に衝撃が走ります。


北条安房守や猪俣家に関連した記事を読みたい方は、下記リンクをクリックしてください:
『青天を衝け』第5回―藤田家について

北条家関連の記事:
円覚寺(2)―戦国の兵火

同関連記事:
河越城の戦いから学ぶ―基準を満たすまで手綱を緩めてはいけない


関白秀吉は「惣無事令」に違反した北条家を批難し、北条家は弁明に努めますが、その甲斐なく羽柴家による北条攻めが決定しました。

これに関して、従来は羽柴秀吉を見くびった北条家が強気に出て羽柴家に臣従(しんんじゅう)すること拒んだため攻められたという説が流布されていました。

しかし近年は、北条家は羽柴家に臣従するつもりであったが関白秀吉は何らかの理由で北条家を滅ぼす必要があり、北条家の弁明に拘わらず北条家を滅ぼしたという説が有力になっています。

この辺りの詳細は下記「参考」に記載のブログさんをご覧いただければと思います。





小田原征伐


天正18年(1590年)、関白秀吉は各大名に出陣命令を下し、軍を三つに分けました。

主力軍は東海道(とうかいどう)を東下(とうか)し、伊豆(いず)・相模(さがみ)の諸城を落としながら小田原城へ向かう。

中四国(ちゅうしこく)の軍勢は水軍(すいぐん)を率いて相模湾(さがみわん)へ向かい、海から小田原城を包囲する。

北陸(ほくりく)・信濃(しなの)勢は東山道(とうさんどう)を進み、上野~武蔵(むさし)の諸城を攻める。

主力軍は徳川前左大将家康の部隊を先鋒とし、山中(やまなか)城・足柄(あしがら)城の防衛ラインを次々と落とし、小田原城を囲みました。


徳川前左大将関連の記事:
『青天を衝け』第2回―身分秩序について

同関連記事:
苦難の時代の幕開け―山岡荘八『徳川家康』第5巻

同関連記事:
小牧長久手の戦いに学ぶ―勝ちすぎてはいけない


関白秀吉は小田原城を力攻めで落城させるのは難しいと感じたのか、自軍の消耗を抑えるためか、そばに石垣山(いしがきやま)城を築城し、長期戦の構えを見せます。

北陸・信濃勢は松井田(まついだ)城・箕輪(みのわ)城・倉賀野(くらがの)城と次々と落城させていき、武蔵鉢形(はちがた)城に迫ります。

関白秀吉は、小田原城を包囲していた部隊の一部を相模・武蔵・下総(しもうさ)に向かわせ、玉縄(たまなわ)城・江戸(えど)城・臼井(うすい)城、また、河越(かわごえ)城・松山(まつやま)城・岩付(いわつき)城などを次々と落城させていきます。

6月になり鉢形城・八王子(はちおうじ)城が落城し、伊豆の防衛線として籠城を続けていた韮山(にらやま)城もついに開城。

小田原城は丸裸となりました。

7月、北条家はついに降伏し、北条左京大夫氏政等は切腹、同氏直等は高野山(こうやさん)へ追放され、小田原北条氏100年の支配が終焉を迎えました。




北条家の敗因


北条家はなぜ負けたのか?

これは愚問ですねw

北条軍8万の兵に対して羽柴軍20万の兵で位(くらい)攻めをされたのだから、北条家が勝つのは不可能と言えるでしょう。

さらに近年の研究で、北条家を滅ぼすことは関白秀吉の中では既定路線であり、どうあがいてもこの時点で大名(だいみょう)として生き残ることは不可能だったと思われます。

ただ、多少の延命は可能だったと思われます。

その辺りを今回の合戦の教訓としたいと思います。




相手に口実を与えない


この戦いの注目すべき点はやはり、「名胡桃城奪取事件」と言えます。

上で「北条家を滅ぼすことは既定路線」と書きましたが、いかに「戦闘関白」といえども、関東の大部分を支配していた大大名を滅ぼすには理由が必要となります。

いや、相手が小さな大名だったとしても、滅ぼすためには理由が必要です。

なぜか?

理由がなければ人が従わないからです。

そして、「相手に落ち度がある」という後ろ盾がなければパワーが生まれないからです。

逆の視点でいうと、自分に落ち度を作ることは、相手が自分を責め立てるための口実を作ることにつながります。

口実があれば相手は強圧的に自分を責めることが可能となりますし、責められる方は押し返せなくなります。

法令を遵守(じゅんしゅ)しなくてはいけない理由はいくつかありますが、そのひとつがこの「相手に口実を与える」ということになります。
※もちろん、法令の本来の目的を果たすために守らなくてはいけないのは当然のことです。


僕は、他の多くの方々と同じように、母親から「悪いことをしてはいけない」と言われて育ちました。

その理由のひとつが上記の「相手に口実を与える」ということでした。

悪いことをしている姿を誰かに目撃されたとします。

その相手に「通報されたくなかったら言うことをきけ」と言われたらどうなるでしょうか?

恐ろしいと思いませんか?

日常生活では、ほとんどの人は上記のように脅されるような行動はしないと思います。

しかし、多くの人が経験したことのある「赤信号を無視した」というような小さな犯罪行為についても、「赤信号を無視するような人の言うことは聞けません」と言われてしまったらどうでしょうか?

正論で押し返せるでしょうか?


法令を遵守しないということは、そういうことです。

確かに清廉潔白(せいれんけっぱく)に生きるのは難しいですし、息苦しいです。
ちょっとした力の抜きどころも必要です。
実状に合わせた柔軟性も必要です。

ですが、相手が付け入るスキを作らない、相手から責めたてられる口実を作らない、ということはとても重要です。

ということで、今回は「相手に口実を作らせない」ということについて説明させていただきました。

まだまだ説明したいことはたくさんありますが、今回は以上です!
最後まで読んでいただきありがとうございました!

以下もご覧ください!

○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・関白 羽柴 内大臣〔通称は藤吉郎〕 豊臣 朝臣 秀吉
かんぱく はしば ないだいじん〔通称はとうきちろう〕 とよとみ の あそん ひでよし
・北条〔藤田〕 安房守〔通称は新太郎〕 平〔小野〕 朝臣 氏邦
ほうじょう〔ふじた〕 あわのかみ〔通称はしんたろう〕 たいら〔おの〕 の あそん うじくに
・猪俣〔富永〕 能登守〔通称不明〕 小野〔大伴?、源?〕 朝臣 邦憲〔範直〕
いのまた〔とみなが〕 のとのかみ〔通称不明〕 おの〔おおとも?、みなもと?〕 の あそん くにのり〔のりなお〕
・徳川 前左近衛大将〔通称は次郎三郎〕 源 朝臣 家康
とくがわ さきのさこんえのだいしょう〔通称はじろうさぶろう〕 みなもと の あそん いえやす
・北条 左京大夫〔通称は新九郎〕 平 朝臣 氏政
ほうじょう さきょうのだいぶ〔通称はしんくろう〕 たいら の あそん うじまさ
・北条 左京大夫〔通称は新九郎〕 平 朝臣 氏直
ほうじょう さきょうのだいぶ〔通称はしんくろう〕 たいら の あそん うじなお
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

参考
くろーるブログ
ゆーくんはどこ?
今日は何の日?徒然日記

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