大航海時代に日本が侵略されなかった理由(8)ー本能寺の変直前の統一状態について | 歴史愛~歴史を学び、実生活を豊かにする~

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「温故知新」とは言いますが、世の中を見渡すと表面的な教訓ばかりでイマイチ実生活に活かすことのできない解説ばかりです。歴史的な出来事を、具体的な行動に置き換えて実生活をより豊かにし、願望を実現する手助けになるように翻訳していきます。


※こちら記事は、平成29年7月27日に書かれたものです。

皆さんこんばんは。
今回はまた『哲学ニュース』の記事「大航海(だいこうかい)時代に日本が侵略されなかった理由wwwww」について検証してみようということで、

第1回  ヨーロッパと日本の距離について
第2回  日本から産出された資源について
第3回  日本の産業について
第4回  日本とヨーロッパの戦力差(前編)
第5回  日本とヨーロッパの戦力差(後編)
第6回  1501年時点での日本の統一状態について
第7回  1549年時点での統一状態について

に続いての第8弾です。

今回は…




織田信長が天下統一目前で倒れた本能寺の変の直前について調べてみます。

陸奥
  大浦為信、南部晴政→晴継→信直、葛西晴信、大崎義隆、伊達輝宗、相馬義胤、蘆名盛隆、佐竹義重
(文字が小さく二氏判別不能。大浦氏が勃興。岩城氏、白川(結城)氏が戦国大名としては姿を消す)


南部家関連の記事を読みたい方は、下記リンクをタップしてください:
九戸城の戦いに学ぶ―事態を過小評価しない

伊達家の登場する記事:
『青天を衝け』第8回―岩瀬忠震の出自

同関連記事:
摺上原の戦いに学ぶ―次善策を用意する


出羽
  安東愛季、戸沢盛安、小野寺景道、大宝寺(武藤)義氏、最上義光、伊達輝宗
(戦国大名としては由利氏、砂越氏が姿を消す)
常陸
  佐竹義重
(戦国大名としては古河公方足利氏が姿を消す)
下野
  佐竹義重、北条氏政
(戦国大名としては古河公方足利氏、芳賀氏、宇都宮氏、壬生氏、佐野氏が姿を消す)
下総、武蔵、相模、伊豆
  北条氏政
(戦国大名としては古河公方足利氏が姿を消す)
上総
  里見義頼、北条氏政
安房
  里見義頼
上野、甲斐、信濃、越中、飛騨、美濃、尾張、能登、加賀、越前、近江、伊賀、伊勢、志摩、若狭、丹後、丹波、山城、大和、紀伊、但馬、播磨、摂津、河内、和泉、因幡、淡路、美作、備前
  織田信長
(戦国大名としては、山内上杉氏、尾張斯波氏、甲斐武田氏、村上氏、高梨氏、小笠原氏、木曾氏、江馬氏、三木氏、本願寺氏、斎藤氏、能登畠山氏、朝倉氏、若狭武田氏、浅井氏、六角氏、北畠氏、細川氏、三好氏、興福寺、河内畠山氏、山名氏、別所氏、赤松氏、浦上氏が姿を消す。各国で織田氏が伸張)
駿河、遠江、三河
  徳川家康
(戦国大名としては今川氏が姿を消す。松平家康が徳川に改姓)
越後
  上杉景勝
(越後長尾氏が上杉氏に改姓)
伯耆
  織田信長、毛利輝元
(戦国大名としては尼子氏が姿を消す)
備中、備後、出雲、石見、安芸、周防、長門
  毛利輝元
(戦国大名としては大内氏が姿を消す。各国で毛利氏が伸張)
讃岐(さぬき)
  織田信長、長宗我部元親
(戦国大名としては三好氏が姿を消す。織田氏、長宗我部氏が台頭)
阿波
 同上
土佐
  長宗我部元親
(戦国大名としては安芸氏、本山氏、一条氏が姿を消す)
伊予
  河野通直、長宗我部元親
(戦国大名としては宇都宮、西園寺氏が姿を消す。長宗我部氏が伸張)
豊前の一部、豊後、肥後の一部
  大友宗麟〔義鎮〕
(戦国大名としては大内氏が姿を消す)
豊前の一部、筑前、筑後、壱岐、肥前の大半、肥後の一部
  龍造寺政家
(戦国大名としては松浦氏が姿を消す)
肥前の一部
  有馬晴信、龍造寺政家
(戦国大名としては松浦氏が姿を消す)
肥後の一部
  相良忠房
日向
  島津義久
(戦国大名としては伊東氏が姿を消す)
薩摩、大隅
  島津義久
(参考:戦国武将勢力地図、Wikipediaの各ページ)


信長関連の記事:
『麒麟がくる』第37回―足利家について(2)

同関連記事:
『麒麟がくる』第36回―足利家について(1)

同関連記事:
『麒麟がくる』第35回―細川藤孝について


という訳で、知識としては織田信長が天下統一目前の状態で、中国の毛利、四国の長宗我部と統一が進み、九州は大友、龍造寺、島津がしのぎを削っていたのはわかりきっていた訳ですが、こうやって調べてみるとまた新鮮ですね。

大名家の数で言うと、1549年時点の68家から比べて26家と、かなりの数の大名がいなくなっています。
(織田家内の大名格の家臣などはカウントしていません)

そしてさらに新鮮だったのが、東北の群雄割拠があまり変わっていないということ。
環境的要因でしょうか?
他の地方のように一強と呼べる勢力が現れなかったのでしょうか?

まぁ、他の地方でこのくらい統一が進んでいれば南蛮人が攻めてきたとしても大勢力同士で手を組むことは可能かもしれませんね。

このあと本能寺の変でまたしても日本中は大混乱に陥るわけですが、この前にも後にも南蛮人が攻めてこなかったのは運がよかったとしかいいようがないかもしれませんね。

この勢力図分析、もう少しやります 笑

参考
しばやんの日々
ナチュラリストの散歩道
るいネット
こん

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