追悼:ドラエモン(=岡田靖氏)の逝去を悼む | シネマ、ジャズ、時々お仕事

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既にネット上の情報でご存知の方も多いと思いますが、内閣府経済社会研究所主任研究官や上智大学経済学部特別客員教授などを歴任された岡田靖氏がお亡くなりになりました。岡田靖という名前をご存じない方でも、匿名掲示板・いちごびびえすの経済板で活躍された「ドラエモン」という名前には見覚えがある、馴染み深いとお感じになる向きも多いのではないでしょうか。
銅鑼さん(以下、ネット上の慣例によりこう表記します)は、およそ10年に亘って、いちご経済版で盛んに活動を続けられ、いわゆる「リフレ派」の中心人物の一人でもありました。経済学的な学問業績については、恐らく、銅鑼さん周辺のキャンパス・エコノミスト諸氏がネット上で読める形で、近いうちにまとめられることでしょう。私は銅鑼さんとは一面識もない、ただネット掲示板で時折、氏の言説を目にしていただけの一読者に過ぎません。以下は、そんな一介の銅鑼さんファンの手による追悼文です。

さて、世の中にエコノミストと呼ばれる人種は自称・他称を含めて枚挙に暇がありませんが、およそその生態は以下の2つに大別できるように思います。1つは「デワノカミ」、もう1つは「実況アナウンサー」です。

「デワノカミ」の書く文章には、やたらと「○○[2006]では」とか「△△[2008]の議論によれば」とか、横文字の論文のリファレンスが出て来るので、すぐに判別できます。デワノカミにとって、真実は常に横文字の論文の中にあり、自分の目の前にある経済的事象は分析すべき対象ではありません。こうしたデワノカミは「実態と違う」と反論されると「教科書嫁」とか「博士号も持たない素人は口を出すな」と反論に真摯に対応せず、時には人格攻撃までを含めて相手を罵倒するだけで勝手に勝利宣言を出してしまう傾向があります(藁)。また、他人のブログにはしょっちゅう批判のコメを書き込む割に、自分のブログではコメント欄を廃止したり、仲間内だけのツイッターに引きこもる傾向が見られるのも彼らの特徴の1つです(爆)。
「実況アナウンサー」は、日々、経済指標が公表される度に、その数値を刻々と実況中継しているだけの存在です。もっとも、ヴェテランの実況アナになると、試合の流れが多少、読めるようになるのか、時には解説者顔負けのもっともらしい薀蓄を講じるようになるアナも少なくありません。さらに実況で名を売ったアナの中には、やがて「ニュース・キャスター」に昇格し、後輩実況アナのレポートをしたり顔でまとめて、恰も自分の意見のように口からでまかせの適当なコメントを付けるだけで高給を食んでいる輩さえ出現するようになります(ハハハ)。TVの経済番組などは、基本的にはこのニュース・キャスターと前記デワノカミの組み合わせで構成されている、といっても過言ではないでしょう。

銅鑼さんは、そのどちらにも属さない稀有の民間エコノミストでした。古典から最新の学術論文まで、その読書量は驚くべきものがあり、私自身、氏の書き込みから存在を知った参考文献・学術論文の類は枚挙に暇がありませんが(*)、決して、それらの内容を受け売りするのではなく、使われている経済モデルの限界とあるべき研究拡張の方向性を見据えた冷静な発言を常にされる人でした。その一方で、足元の経済指標に関しても、実況アナ顔負けの情報収集を行っておられましたが、これは証券会社系研究所や外資系証券会社の調査部で長年、働かれた経験が物を言っているのでしょう。そしてまた、氏の発言は自説への批判に対しても、正しく内容を理解し、相手と同じ土俵に立って理論整合的に反論され、あるいは時に、相手の批判を容れて自説を修正するという、研究者としての正当な態度に終始されていました。正当ではあっても、これがいかに稀有なことであるかは、この業界に近い方なら誰でもおわかりになることです。そしてまた、銅鑼さんは、理論的根拠とは無縁の、いわゆる人格攻撃的な書き込みに対しては、打って変わって、しばしば辛辣かつ容赦のない批判で対処される人でもありました。

私が最も感銘を受けた銅鑼さんの書き込みは、「デフレを甘受し、成長を前提としない経済システムを考えよう」という若者の発言に対して「この世には、大学を出ても仕事のない若者、働こうにも保育所がない母親、介護施設もなく社会的入院を余儀なくされる高齢者、等々が沢山いる。経済が成長しなくて、これらの人々をどうやって救済するのか(以上大意)」という反論でした。世の中に社会的弱者や一般庶民を見下すようなCool Heart, Warm Headsのエコノミストが溢れる中、銅鑼さんが数少ないCool Head, Warm Heartの持ち主であることを知らされた印象的な発言として、今でも記憶に残っています。

ネット上の議論の場が、掲示板からブログ、そしてツイッターへと移行する中、開かれた議論を重視して最後まで掲示板に居残り、経済学初心者に対しても、書き込みの内容が真摯なものであれば常に懇切丁寧な書き込みで応じていた銅鑼さん。その生真面目さが、50歳代半ばというあまりにも早い時点でのアンタイムリーな死につながってしまったのでしょうか。今はただ、銅鑼さんの冥福を祈るばかりです。

(*)いわゆるクラウアーの「再決定仮説」のエッセンスが森嶋通夫「資本主義経済の変動理論」の冒頭部分にあるという銅鑼さんの書き込みは、その後、フィリップス曲線に関する経済学的な議論を理解するうえで、非常に参考になりました。これはほんの一例に過ぎません。