陸軍中野学校 雲一号指令 | シネマ、ジャズ、時々お仕事

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1966年 大映 監督 森一生 脚本 長谷川公之
(あらすじ:ネタバレあります)
神戸港沖で、新型火薬を積んだ陸軍の輸送船が爆破され撃沈。草薙中佐(加東大介)は中野学校を卒業し、任地・北京に向かっていた椎名次郎(雷蔵)を神戸駐在の杉本(仲村隆)と共に捜査に当たらせることにした。早速、神戸埠頭に出掛けた雷蔵は、沖仲士たちと憲兵隊に連行されてしまう。憲兵隊・西田大尉(佐藤慶)の尋問に職業を「陸軍少尉」と答えたことから一悶着あったが、憲兵隊長・山岡中佐(戸浦六宏)は人格者だった。杉本と市内の偵察に出た雷蔵は、丘の上の公園で帝大時代の同級生・佐々木(中野誠也)と出会う。中野は軍の委嘱で大型犬の飼育をしているという。憲兵隊の捜査を嘲笑うように、再び、新型火薬を積んだ輸送船が爆破された。沖仲士を締め上げる佐藤を尻目に、埠頭の守衛に潜り込んだ仲村は同僚・元川(越川一)を容疑者としてマーク。雷蔵は日中の越川の動きを追った。越川は連日、中国人・周(伊達三郎)が経営する萬来軒で昼食を取り、決まった時間に銭湯へ通っていた。ある日、雷蔵は越川が銭湯の洗い場の仕切り越しに女湯と何かをやり取りしたのを目的。雷蔵はやり取りの相手が三業地一の売れっ子芸者・梅香(村松英子)であることを掴み、陸軍技術将校に化けて、座敷に呼び出す。一方、仲村はある晩、越川が密かに外出した後を追跡、時限爆弾を仕掛けたのを確認したが、越川は逃亡し、自爆してしまう。佐藤は、自分の捜査ミスを棚に上げ、越川を逮捕できなかったのは雷蔵と仲村の失態だと叱責。仲村は置屋前の旅館から村松の張り込みを続け、雷蔵は何度か梅香を座敷に呼び出し、過去を探る一方、中野学校に講師として残った久保田(森矢雄二)に村松の情報収集を依頼した。森矢の情報は細部まで村松の特徴と一致したが、彼女の過去の一部は不明のままだった。村松は神戸市内で中野と接触。村松は郊外の教会にも出入りしていたが、その教会の神父(H.ジョンソン)は伊達とも面識があるようだった。実は伊達は中共の工作員で、村松は容姿が梅香に似ているという理由で密入国し、背乗りで梅香に化けたスパイだった。その頃、大日本造船工場から戦艦の設計図が盗まれる事件が発生。守衛(尾上栄五郎)の証言で技師の堺(木村玄)が逮捕された。だが、真犯人は木村を離れに下宿させていた中野だった。工場の周辺を捜査した雷蔵は、壁の鉄条網に軍用犬の毛が付着していたことから、真犯人が中野だと突き止め、憲兵隊に逮捕させた。雷蔵は死刑を免れるために中野にスパイ網の全貌自白を迫ったが、中野は拒否。尋問を代わった佐藤の目前で中野は飛び降り自殺してしまう。東京連絡会議の目前に起こった不祥事に戸浦は激怒。一方、雷蔵と仲村は、連絡会議に向けた村松の行動に注目。果たして、佐藤を追って東京に出た村松は、宿舎で彼と密会。佐藤が入浴中に秘密書類を超小型カメラで写真撮影していた。佐藤の部屋に忍び込んだ雷蔵はカメラからフィルムを抜き取り、中野学校で森矢と現像。加東は病気の母を見舞えと雷蔵を諭すが、雷蔵は「私は最早、三好次郎ではない」と拒否。やむなく加東は病院へ向かい、「今、この人を殺すわけにはいかない」と、医師の制止を振り切って輸血を申し出た。翌朝、神戸駅で張り込んでいた仲村は、村松が伊達にカメラを手渡すのを目撃。伊達はその足で教会へ向かった。一方、雷蔵に書類の写真を突きつけられた佐藤は、雷蔵を伴い、村松のいる置屋へ。村松は泣き落としで佐藤をぐらつかせたが、雷蔵が吸殻から検出した血液型の違いを指摘すると、「私は祖国に殉ずる愛国者」だと開き直って胸を反らせた。逆上した佐藤は村松を射殺した後、自決。その頃、教会では戸浦率いる憲兵隊が捜索に入っていた。証拠はなかなか見つからなかったが、雷蔵と仲村は風見鶏がアンテナであることを掴み、祭壇に隠された通信機を発見。自決しようとして制止されたジョンソンに戸浦は「神は自殺を許さんはずでしたな」と吐き捨てた。その時、中野が飼っていた大型犬が教会内に侵入。その首輪には大日本造船工場に時限爆弾を仕掛けたというメモが入っていた。爆破までのタイムリミットは30分。5分前になっても爆弾は発見できず、憲兵隊は撤退しようとしたが、雷蔵は一人、必死に帰還を呼びかける戸浦の声を尻目に捜索を続けた。爆発寸前、爆弾を発見した雷蔵は海上にそれを投げ放ち、空中で大爆発が起こった。数日後、陸軍省に出頭した雷蔵は出入り口の階段で加東と邂逅。加東は雷蔵が中尉に昇格したことを告げ、「どんなことがあっても死ぬな、絶対に生きていろ」と激励した。加東に別れを告げた雷蔵は、人事局で次の任地指令を受けるため、陸軍省の長い廊下を歩いていった。
(感想)
「陸軍中野学校」が雷蔵の最高傑作であるという点は、ほとんどの雷蔵ファンにとっても異論のないところでしょう。増村保造監督の素晴らしさは、高い芸術性を発散させながら、決して娯楽作としての通俗性を失っていないところで、007など折からのスパイ・ブームにも乗って、興行成績も上々だったようです。早速、大映上層部は「中野学校」のシリーズ化を決定。しかし、畠山清行の原作記事は、現在でこそ単行本にまとめられ、一部は文庫化されて容易に読むことが出来ますが、当時は未だ週刊誌連載中で、ソースは記事のスクラップだけという状態。そんな断片的な記事からあれだけの脚本を書いた故星川清司の手腕は大したものですが、当時、星川は座頭市や狂四郎のメイン・ライターでもあり、多忙を極めていたこともあって、連続しての登板が不可能な状態。雷蔵は旧知の宮嶋八蔵助監督に話しを持っていったようですが、溝口健二の内弟子出身で一言居士の宮嶋助監督は、「1作目を超える作品は書けない」という、至極もっともな理由で固辞。結局、大映東京で「黒のシリーズ」や「ザ・ガードマン」などを手がけていた長谷川公之を起用することになりました。この長谷川、本職は警視庁の監察医で、脚本はサイド・ビジネスという変り種。丹波哲郎のデビュー作でもある「殺人容疑者」などでも、得意の科学捜査をシナリオに盛り込んでいますが、本作でも「タバコの吸殻から血液型を割り出す」という、現代なら小学生でも知っているエピソードを(藁)、中野学校ならではの最先端手法としてストーリー上のポイントにしています。まぁ、設定年代は昭和14年ごろですから、登場人物が吸殻から血液型を割り出す方法を知らなくても不自然ではありませんが。ただ、彼を起用したことで、良くも悪くも、雰囲気がスパイ物というよりは刑事ドラマに近くなってしまったことは確かでしょう。とくに後半、大津に飛んで村松英子の過去を探る雷蔵の捜査、まるで「特捜最前線」の大滝秀治のように見えました(藁)。仲村隆と雷蔵が置屋の前の旅館に泊り込んで村松を見張るシーンはモロ「張り込み」のパクリですね。もっとも、こんなに張り込みに都合のよい場所に、ちょうど宿屋があるなんて、普通は考えにくいとは思いますが(ハハハ)。
時代劇の巨匠・森一生監督は、現代劇でも「ある殺し屋シリーズ」のような傑作をものしていますが、エンターテインメントに溢れたスパイ物、というのはさすがに不慣れだったか、どうせ低予算なのに無理して冒頭の撃沈シーンやら、爆破シーンやらを盛り込んで、却ってショボい印象を観客に与えてしまっているのはマイナス点。中盤に出て来るキセル爆弾の爆発実験なんか、まるでお店で売っている打ち上げ花火の着火のように見えました(ハハハ)。監督もさすがにまずいと思ったのか、わざわざ見学している戸浦六宏に「かなりの爆発力だな」と、どう見てもわざとらしい台詞を言わせて、余計、不自然な印象を強めてしまっています。さらに、スパイの巣窟である教会を摘発して一件落着かと思えば、とってつけたように造船工場での時限爆弾探索シーンを追加し、金属だらけの工場内で、地雷発見用の金属探知機を使って爆弾を捜すという、どう考えても無理スジのストーリー(藁)。上層部からシナリオに注文が付いたんでしょうか? そして、そうまでして突っ込んだクライマックス・シーン、雷蔵がようやく発見した爆弾を埠頭から海上へ投げると、「ボカッ」という安っぽい爆発音と共に、運動会の打ち上げ花火のような白煙が上がってジ・エンド(爆)。ほんの2~3年前の「忍びの者」シリーズでは、毎回毎回、ストーリーとは無関係なところで、大量の火薬を使って派手にドンパチやっていたんですがねぇ。火薬の扱いは東映東京を見習え、とは言いませんが、もう少し何とかならなかったのか。あるいはそれだけ大映の経営危機がこの頃から急速に進行していたのかもしれませんが。
さて、本作で最大のヒットは、ミステリアスな芸者・梅香役に、正にミステリアスそのものの村松英子を起用したこと。彼女にとって唯一の大映作品でもあります。元々舞台出身で、映画出演は多くない人ですが、大きなおでこを買われて(藁)、東宝の青春物で内藤洋子の姉役でしばしば起用され、ガードの固い内藤とは対照的に、ミニスカや水着姿になって大人の色気を醸し出す彼女に魅了された方は多いでしょう。私的には仲代達矢の「他人の顔」で、岡田英次の秘書を演じたシーンが忘れがたいです。白のブラウスの襟元にスカーフを巻いた、いかにも「偉いさんの秘書!」という感じの佇まい、正に「萌え~!」(死語)という感じで最高でした。一体、誰がキャスティングしたんでしょうか。まぁ、この人、三島由紀夫のお気に入りだったので、三島と個人的交友もあった雷蔵が抜擢した、あるいは三島自身からサジェッションがあったのでは…などと考えてみるだけでも楽しいですねぇ。この時期、既に雷蔵は自ら主宰する劇団「鏑矢」の構想を固めていたでしょうから、ひょっとしたら、新劇舞台での彼女の演技を見て気に入ったのかもしれません。
1作目では東京撮影所製作ということで、三夏伸、森矢雄二、井上大吾といった東京の若手大部屋陣に珍しくも活躍の場が与えられ、とくに三夏にとっては、正に一世一代の大役が宛がわれていたように思われますが(ハハハ)、本作では京撮作品ということで、日頃は時代劇で脇役を演じている木村玄、尾上栄五郎、越川一などに珍しくもスポットが当たっています。とくに、越川一は、現代劇ではこれまた一世一代の大役では? 他に現代劇でこの人にまともな出番があった作品というと、山本富士子の「夜の河」でのタクシー運転手役(この頃は、まだ頭髪がふさふさしていました(藁))、高田美和の「青い口づけ」で、高田の実母・山岡久乃の女中仲間の結婚相手役で、モーニング姿で照れていたシーン、くらいしか思い浮かびません。もっとも、越川一に注目して映画を見ている物好きが私の他にどれくらいいるかは定かではありませんが(爆)。
細かなことですが、シリーズ5作中、将来に希望を感じさせるような、明るい感じのラスト・シーンになっているのは本作だけです。ついでに言うと、エンド・マークが「終」ではなく「完」になっているのも、この「雲一号指令」だけ。