自分の原点! | まだまだ続く独り言

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在米スポーツライターの雑記帳

ということで、錦織選手の負傷欠場のためフロリダに残留し、デルレービーチの北にあるポートセントルーシーに移動し、今日からメッツの松坂投手の取材を担当することになりました。

長年メジャーに在籍する松坂投手ですが、実は彼をじっくり取材して経験がこれまでなく、顔を知ってもらっている程度です。わずか1週間しかありませんが、できる限り松坂投手からいろいろな話が聞けるように頑張ってみたいと思います。

ここまでの報道を見る限りですと、今年は非常にいい状態でキャンプインしているようで、明日予定されているフリー打撃で彼の投球に打者がどんな反応をするのか楽しみしています。

松坂投手

ところで最近はフロリダ州の東海岸地域でキャンプを行うチームが激減し、しかも日本人選手が所属するチームはメッツしかいないため、なかなか東海岸地域に滞在することがありません(大抵の日本人メディアは西海岸地域に滞在し、東海岸まで日帰りドライブを行います)。折角のチャンスなので、今日はメッツの練習後に、自分のスポーツライターの原点ともいえる場所にいってきました。

ドジャータウン2

そうです。1948年から2008年までドジャースがキャンプ地にしていたベロビーチという街にある「ドジャータウン」です。まさに自分のメジャー取材、つまりは自分のスポーツライターとしての始まりがこの地なのです。

1995年当時、自分はフロリダ州オーランドに住んでいました。まだスポーツライターとしては駆け出しの駆け出しで(主に別の仕事の執筆をしていました)、Numberの巻頭コラムに一度だけ執筆させてもらっていた程度でした。

そんな時です。野茂英雄投手がドジャースと契約し、ベロビーチでキャンプを行っているということが話題になっていました。オーランドからもそう遠くないこともあり、興味本位で大手旅行業者のオーランド支店長さんと見学に行こうということになったのです。

現場に行ってみると、そこにはすでに数人の日本人メディアの人たちが野茂投手の取材をしていました。ひょんなことから彼らと話をすることになり、いろいろ話を聞かせてもらいました。

彼らの中には英語が話せる記者もいましたが、基本的にはあまり英語ができない方がほとんどで日々の生活にも苦労しているようでした。そこで軽い気持ちで取材の手伝いでもさせてもらおうと思い、Number編集部にお願いし、Numberの記者としてメディアパスの申請をさせてもらえるよう了承を得て、その次の日から1人でベロビーチに通い、日本人メディアの一員として一緒に取材を始めるようになったというわけです。

そしてそこから色々なお仕事を頂けるようになり現在に至っています。もしあの時野茂投手が別のチームと契約してアリゾナのキャンプに行っていたら、もしくは自分がベロビーチに足を伸ばそうと思っていなかったら、間違いなく自分の人生は変わっていたと思います。本当に“縁は異なもの、味なもの”だと思います。

ドジャータウン

改めてこの地を訪れ、このブルペンを眺めていると、日本人選手がメジャーリーグのユニフォームを着ていることにワクワクさせられながら野茂投手のブルペン投球を見守っていたことを鮮明に思い出します。

現在の仕事に巡り合わせてもらったこの場所に感謝です。

今日はこの辺で…。