あちこちに出かけた話を書くタイミングがごっちゃになって些か錯綜気味ですが、これは下諏訪上諏訪と来た続きとなる茅野のお話なのでして。松本城へ出かけた松本の行き帰りの話とは別口なのですなあ。ともあれ、茅野駅から乗ったバスで理科大入口に到着、目の前にあるのが茅野市八ヶ岳総合博物館なのでありました。

 

 

「八ヶ岳総合博物館」というからには、八ヶ岳なる山のことをたっぷりと知ることができるものと想像し、予て一度は出かけてみようと思っていたわけなのですが、その実は茅野市の民俗資料館(を多くした施設)でありました。思い込みが強くて、まともに見ていなかった同館HPにある「茅野市の自然とそこに生きてきた人々の生き方に焦点をあて、自然、歴史、産業、民俗を総合的に展示しています」との記載に気付いたのは訪ねた後のことでありましたよ…。

 

それでも、展示室に至るアプローチ部分に「日本列島の生いたち」としてプレートテクトニクスや超大陸パンゲアの話が出てくるのは、そんじょそこらの歴史民俗資料館では見られないところですな。要するに八ヶ岳という山の誕生にまで至る地球の火山活動につながる話の前哨戦的位置付けでありましょうかね。

 

 

 

 

 

てな具合に、やおら壮大な地球自体の活動が語られるわけですけれど、こと八ヶ岳に目を向ければ、かような解説がなされておりました。

茅野市の北東部から東部にかけて弧状に連なる八ヶ岳連峰は、北部に位置する霧ヶ峰火山群の活動の後にできた火山列です。この火山列は、北端の蓼科山から南端の編笠山まで南北21Kmにわたっており、今から数10万年前から活動を繰り返してきた”火の山”です。

そんな説明の流れの先、展示室に入ってすぐ目に留まるのがこのジオラマでありますよ。

 

 

作りもの感ありありではあるも、なかなかにインパクト大ですなあ。見学者が近づくと突如噴火が始まる仕組みのようでして、じわじわと裾野に溶岩流が流れ下るようすが再現されているという。ただ、この八ヶ岳が火山であったことを想起させる模型の元の山が「北横岳なの?」と思ってしまい…。すぐ左側手前の、頂上部が少々平らになっているのは蓼科山と分かりますので、位置関係からしても北横岳(北八ヶ岳の方の横岳)であるとも知れるのですけれどね。

 

 

南北に長く続く八ヶ岳では北部と南部で山容が異なることで知られておりますですね。八ヶ岳観光協会「八ヶ岳アルペン・ナビ」HPには「夏沢峠を境に…北八ヶ岳は深い針葉樹の森に神秘的な湖が点在し、南八ヶ岳は赤岳を代表する荒々しい岩稜の峰が連なっています」とありまして、簡単に言ってしまえば北部は穏やかな森の山、南部はごつごつした岩の山てな印象であったわけです。そこから単純ながらも、南部の火山性ばかりを想起していた…ところが、ここでは火の山をして北横岳が取り上げられていたことに「?!」となってしまったわけでして。

 

 

このあたりをざっくり振り返ってみますと、岩々しているから火山と思うのは短絡思考であったようで、年代的に言って南側の方が古い火山なのでその後の浸食風化が著しい、つまり岩稜むき出し状態になっている。これに対して比較的新しい北側ではさほどの浸食風化に曝されておらず、木々が茂っている…てなことになりましょうか。

 

そうは言っても、ジオラマのように噴火したという北横岳、北八ヶ岳ロープウェイで上った先の坪庭散策路は、木々に囲まれながらもいかにもな溶岩台地となっておったなあと、今さらながら。まあ、北横岳の噴火はおよそ1万年前と、八ヶ岳形成史の中では新しい噴火としてクローズアップされたのがジオラマということのようですな。

 

ところで、なんだってここに南北に連なる火山列が?という点につきましては、またまた地球の壮大なドラマと関わってくるのですなあ。「昔、日本列島が折れ曲がってできたひび割れ(フォッサマグナ)の隙間から地下のマグマが吹き出して火山(霧ヶ峰火山群、八ヶ岳火山列)ができ」のであるということですからねえ。

 

 

一方、諏訪湖(左上部)から南東方向に走る(フォッサマグナの)断層帯を境に西側は、八ヶ岳誕生よりも遥かに古く、「約6~7千万年前に海の底に堆積した古い地層が2400万年前より後で隆起したもの」であるそうな。地質的には全く異なる地層に囲まれているのが諏訪地域ということになりましょう。

 

 

そんな地層の違いから、辺り一帯からはさまざまな種類の岩石・鉱石が見つかるようで、ご覧のようにサンプルがたくさん…ではありますが、これをまたつぶさに見ていきますと長くなるばかりですので、このへんで。とはいっても、八ヶ岳総合博物館の話はもう少し続くことになりますですが…。