信州・上諏訪のSUWAガラスの里を訪ねたのは、要するに北大路魯山人展を見んがためであったわけですが、そもそもこの施設、ガラス工芸の制作体験ができたり、ガラス器のセレクトショップがあったり、はたまたレストランもジェラテリアもある、さらには水陸両用車を利用する諏訪湖&湖畔巡りツアーの発着地にもなっていたりと、思い切り観光要素を盛り込んだところだったのですなあ。

 

 

それなりに次々と観光客がやってくる中、果たして魯山人展を開催する美術館はどんなようすであるかと些か危ぶんだ(静かに落ち着いて鑑賞できないかもと…)ですが、多くの方々のお目当ては別のところにあったようですなあ。当方としてはわき目もふらずに美術館へと直進しましたですが(繰り返しになりますが、魯山人展の会期は11/3で終了しております…)。

 

これまでの既成概念を打ち破って、書画・篆刻・料理・陶芸・漆芸など身近な手仕事に独特の発想や創造力をもって新たな芸術を具現化した魯山人。その作品は飽きのこない絶妙な気品をもたらし、観る人の心を鷲づかみにした。まさに希才である。鬼才とか、奇才ではなく、常識的物差しで計れ知れぬほど稀有な、破格の芸術家であった。

展覧会冒頭には東京・渋谷にある黒田陶苑社長の言葉として、かような紹介がありましたですが、そんな破格の芸術家の作品をとくと拝見いたそうという次第。そもそもからすれば、食道楽が昂じて素晴らしい料理を美人に喩え、美人には素敵な着物を着せてやりたいというところから、器作りが始まったようですなあ。

 

ですので、本当の魯山人理解は盛りつけた料理ともども賞玩すべきところなのかも。ただ、現実にそんな企画があったとしても、およそ庶民に関わりある催しになるとも思えず、器を愛でるにとどまることになりましょう。

 

 

展示室の中央に大きなガラスの球体があるのは、おそらく会場がガラスの里の美術館だからということで、魯山人とは関わりないのでしょうかね、念のため。ともあれ、美人の料理に着せたいと、魯山人自らが手掛けた器の数々を拝見するといたしましょうか。

 

志野草絵四方鉢

 

のっけから単なる好みで恐縮ですが、志野焼、いいですよねえ。個人的にも普段遣いのご飯茶碗に志野焼を用いておりまして、ともすると100均でも買えてしまうご飯茶碗ながら、庶民感覚としては清水の舞台から飛び降りる覚悟で買ったもの(大袈裟に言ってますが)だけに、ご飯をよそう度ごとに満足感が湧いてくる、これぞ「ふだんプレミアム」ですなあ。

 

木乃葉平向

 

本来五点揃いのうちのふたつ。信楽土の焼締を土間に見立て、木の葉が舞い散ったさまを著した」ということですけれど、「織部釉、黄瀬戸釉、灰釉、鉄釉などの色違いを楽しめる銘々皿」に仕立てるあたり、趣味人の面目躍如ではないですかねえ。魯山人のやきものは、土や釉薬、手法などを「これで!」と思うものを使い分ける自由さがありますですね。一つの場所に窯を構えて求道的にやきもの作りに向き合う姿勢とはやはりずいぶん違うものではなかろうかと。

 

乾山風皿 龍田川意

 

魯山人は尾形乾山を尊敬していたようで、オマージュ作品も作っておりますな。作風自在な人なればこそ、いろいろな挑戦やアレンジができるのでしょう。あまり轆轤成型を行わなかったという魯山人、ここでは「信楽土を筒状にしてから分厚くスライスし、鞍馬石の自然な凹凸と丸みを巧みに利用して土を叩い」て作り上げているそうな。こうした自らの創意を大事に思うがまま、他の目を気にせず作る姿勢は、ちと本阿弥光悦を思い浮かべたりしたものでありますよ。やきものばかりにとどまらない創作領域という点でも。

 

 

書画作品も数点展示されておりまして、こちらの絵は美食の旅にでた魯山人が秋田で食したハタハタに舌鼓を打ち、一杯機嫌で画仙色紙を手に取って描いたものであるとか。早い話が酔っ払いの戯れ事とも言えましょうが、味のある一枚になっていて、食べてにんまり、描いてにんまりの魯山人のようすが浮かんでくるようです。

 

 

一方こちらは、自ら篆刻したという魯山人の磁印(やきものの裏側、底の部分に押す刻印)と。篆刻家としての魯山人は引っ張りだこだったようで、展示解説には「東の大観・西の栖鳳をはじめ著名な日本画家が挙って魯山人篆刻の雅印を使った」てな紹介がありましたですよ。

 

てなふうに、自らはそれを生業としているわけではないところのものを、多くの人が欲しがったというあたり、やっぱり光悦を想像したりも。

 

つい先日に、その光悦が焼いた国宝茶碗を同じく上諏訪のサンリツ服部美術館で目にしたですが、後々の世に魯山人の作品や人となり、どんなふうに語り継がれていくのでありましょうか。これもまた興味あるところになりますですね。

 

古備前土ヒダスキ四方鉢