「昔取った杵柄」とはよく聞く言葉ではありますが、これを改めて『故事ことわざ辞典』なるサイトに当たってみますと、「昔取った杵柄とは、若い頃に身に着けた技量や腕前のこと。また、それが衰えないこと。」の意であって、後段の意味まではつかんでおりませなんだ。衰えてないことをもって「昔取った杵柄」というべきとすれば、タイトルのような使い方は矛盾を含むことになってしまいますなあ…。

 

ともあれ一昨日お話した通り、山歩きに行ってきたのでありますよ。で、それと「昔取った云々」がどう関わるかですが、それこそ若い頃は月一程度でどこかしら、山歩きに出かけている時期がありまして、敢えて「山歩き」という程度にがんがん、高峰を目指すとかいう大がかりなものではないにせよ、わりと慣れてるてな思い込みがあったりもして。

 

さりながらその後の何十年と運動不足を積み重ねて来た身としましては、その自覚を弁えて「どこに行くか」を考えた次第。その時に思い出したのが、先月に上諏訪の美術館へ出かけた折に遭遇した、結構な年齢と見えるもばっちり登山者姿に身を固めた一群(何故かしら?女性比率極めて高し)のこと。場所が富士見駅でしたので、「ああ、入笠山かあ」と思ったのですよね。

 

入笠山には昨年6月、シーズンとあってもっぱらすずらんの花を愛でに出かけましたが、その時には頂上に登ることをしておらなかったのを、些か心残りにもしておったわけで。また、何十年か前に頂上まで登った時に「そんな大変な道でもなかったような」という記憶も残しており…とまあ、かような経緯もあって取り敢えず目指した入笠山でありました。

 

入笠山は標高1955mとはいえ、1780m地点までゴンドラで上がれてしまう(一度下って登り返しがありますが)。そんなことも楽勝感に繋がってしまっておりましたが、いやいやなかなかどうしてどうして。伊達に?運動不足をこじらせてはおりませなんだ。登り始める前には、一定程度の標高があることで涼やかな風に吹かれてこようという思いばかりが先立っておりましたよ。ゴンドラ乗り場にあった案内によりますれば、山頂駅(1780m)あたりの気温は17度と(ただし、朝7時現在)、弥増す期待だったわけで。

 

 

ということで、とるものも取り敢えずゴンドラで標高差700mほどを上へ、上へ。あいにく上方は雲が多く湧き出ている気配ですけれど、今回は久しぶりの山とあって頂上へ到達する(体力があるのを確認する)ことが目的でもあって。ただ、冒頭に触れましたとおり、衰え知らずであるのが昔取った杵柄であるとするならば、些かも杵柄をとっていなかったとやがて露呈するわけですが、そのお話は次に続くというこで(引っ張ってすいません、笑)。