ちょいと前に近隣図書館の新着図書コーナーで『ビジュアル版 一冊でつかむ 古代史と豪族』という本を見かけて読んだわけですが、これを返しに行ってみますと、同じコーナーで今度は『地図でスッと頭に入る飛鳥・奈良時代』なる一冊が目に留まったのですなあ。「こりゃあ、続けて読みなさいという暗示か?」とも思って借り出してきたのでありますよ。
版元が昔から地図作りで知られる昭文社だと知って、さぞかし「スッと頭に入る」ような地図満載の一冊でもあらんか、目を通すページごとに訪ねてみたくなったら収拾がつかなくなるなあ…などと(さほど中を見ることもなく)妄想を抱きつつ借りてきてしまいましたが、結局のところは妄想倒れでしたなあ。もそっと地図らしい地図が掲載されているものと思い込んでおりましたが、その点は誠に残念…。
とはいえ、日本史に対する興味のほどはごくごく近年のことでもあって、知らないことだらけな実態からすると、仏教伝来から長岡京遷都(つまりは平安時代直前)までをほぼ時系列に項目ごと、見開き2頁で(地図も交えて)紹介してくれているのは、「そういう流れだったのであるかいね」と、改めて知ることになったのですけれどね。
ただ、そんな流れをたどっていきつつ、個人的な思いとして湧き起こってきたのは平安時代(幸い?本書では触れていないですが)より奈良時代、奈良時代より飛鳥時代、さらに古墳時代や弥生時代、そして縄文時代といった古い時代の方が何かしら掻き立てられるなあという印象なのでありますよ。これは偏に、日本で文字が用いられるようになって、記録が多く残る以前と言ったらいいでしょうか。
記録が多く残っておれば時代の様子が後世に伝わるわけですが(といって、先に「吾妻鏡」で触れたように恣意的な内容だったり、誤りが伝えられることもありますな)、わからないことが多く残されている方が歴史ロマンを感じやすいとでも言ったらいいですかね。いかにも学究の徒ではない物言いですが(笑)。
ま、そんなふうに思い至ったのも、たまたま折も折、2008年のちと古い映画ながら『まぼろしの邪馬台国』を見たところでもあったもので。
島原鉄道の社長としてワンマンな経営ぶりの挙句、会社から放逐された宮崎康平(竹中直人)には元より郷土史家の一面も持ち合わせており、全盲ながらも妻和子(吉永小百合)を自らの目とも杖とも頼んで、邪馬台国の痕跡探しの旅を重ねていく…てなお話。原作となる同名の著作は「宮崎の半生と邪馬台国が島原にあるという学説とを同時に記した作品」(Wikipedia)ということですけれど、映画の方は宮崎康平の破天荒な人となりを語る方が主眼のようでしたなあ。
ですので、「邪馬台国が島原に?!」というあたり、さほど詳述されてはおりませんけれど、魏志倭人伝の記述をめぐり歴史学者に食ってかかるあたり、「(宮崎説に)なるほどなあ」と思ったりも。ちょいと前にNHK『幻の骨 〜日本人のルーツを探る〜』で謎の人骨を発見した在野の考古学者・直良信夫(のちに早稲田大学講師にはなりますが)が紹介された際、その学歴の故に学界の学者たちから相手にされなかったようすが出てきましたですが、アカデミズムに対抗するには宮崎康平くらいの尖った人物でなくては太刀打ちできなかったのであろうとも。
とまれ、邪馬台国論争は時々の歴史的発見を通じても、畿内説と九州説が拮抗する状況にあり、つまりはわからないことが話を大いに盛り上げているわけですから、結局のところ歴史ロマンは学究の徒であったも同様といえましょうかね。
さすがに邪馬台国探しに手を挙げようとは思いませんが、個人的にはさしあたり(纏向遺跡が発掘されてきているも)やはり九州説を採りたい気がしているのでありますよ。理由は挙げられませんがなんとなくです(笑)。