お休みを一日頂戴いたしましたが、例によって何事もなかったように話の続きを…。

 

どうも伊達政宗色の強い瑞巌寺を後にして、近くにあります円通院と天麟院は通りすがり程度に。

 

 

 

円通院の方は政宗の孫(忠宗の子)である光宗(19歳で夭折)の霊廟として建てられて、今では苔寺としても知られておるとか。また、天麟院は三春城主の田村氏から輿入れした正室・愛姫(めごひめ)と政宗の間に生まれた五郎八姫(いろはひめ)の墓所であると。

 

昔の大河ドラマで見たときに「五郎八」とは読みは優しいにしてもおっさんっぽいなと思ったりしたですが、天麟院前の説明書きに曰く「母正室愛姫が生まれた女の子に男名をつけると次は男子が生まれるといういわれから五郎八姫と名づけたという」とありましたな。

 

全くの余談ながら、大河ドラマ『独眼竜政宗』では愛姫を桜田淳子が、五郎八姫を後藤久美子が…なんつうふうに思い込んでおりましたが、ゴクミは愛姫の少女時代であって、五郎八姫役だったのは沢口靖子でありましたか。こんな折りでもないと思い込みが上書き修正されないままでしたでしょう…。

 

という歴史ゆかりの場ではありますが、これをさらっと過ぎて向かったのは観瀾亭というところ。松島という場所柄らしくもそっと景観を愛でようかという思惑でありました。

 

藩主の納涼観月の亭として初めは「月見御殿」といわれており、「観瀾亭」は五代藩主吉村の命名です。中秋の名月の頃は「お月見の会」が催されるので、風流に浸るののも一興です。(松島観光協会HP)

海にちょいと突き出た小さな岬の上といった場所にあるようで、海を眺めるに良し、月見に良しであると。建物の由来は伏見桃山城にあったものとは、なかなかの来歴ではありませんか。

「観瀾」とは、さざ波を観るという意味です。観瀾亭は、もともと豊臣秀吉の伏見桃山城にあった茶室を政宗がもらい受けて江戸の藩邸に移築していたものを二代藩主忠宗が1本1石も変えぬようにと命じ、海路ここに移したと伝えられています。(松島観光協会HP)

 

金箔をふんだんに用いた「御座の間」はいかにも桃山文化ゆかりと思うところながら、建物は伏見から移築されるもさすがに絵の方は瑞巌寺障壁画を描いた狩野左京作と伝わるようで。瑞巌寺はともかく、こちらのお殿様遊興の場には至って馴染むものですな。伊達好みは桃山文化と近しいような気もしたものです。

 

さすがに「御座の間」には立ち入れないですが、海の景観を目の前にできる広間の方では上がって抹茶を喫することができまして、束の間のお殿様気分といいましょうかね。

 

 

 

松島の多島海らしいところというよりは多船海という状態になっているのが目に飛び込んできますが、まあ、確かにのんびりできることは間違いないところではありました。