小高い丘の上に立つ国宝・多賀城碑のところまでたどり着けば、すでに国特別史跡・多賀城跡を一望できるわけですが、ちとそのことは後回し、小出しにしてしまいましたなあ。
2024年で創建1300年となった多賀城跡、建物の一部を復元したりすることを含め、史跡一体の整備事業が進んでおると見えましたが、ほぼほぼ完成間際と思われたのがこちらの外郭南門でありますよ。
見た目には「完成してるんじゃね?」と思うものの、訪ねた2024年11月末には未だ周囲に巡らした囲いが取り払われておらず、これを潜り抜けることはできない状況でありました。ちなみにこれは門の内側でして、後ほど反対側に廻ってみますと門に至る道筋が未整備の状態だったわけで。
でもって、改めて門の内側方向を眺めやってみますと、政庁正殿に向かう道が、こちらは整備済みのようですな。正殿に向かって右手の区画が城前地区として、建物や柱跡などの復元作業が急ピッチで進められておるようでした。
しかしまあ、正殿に続く道がずっと緩やかな登りになっておりまして、多賀城というのはこういう場所に造られていたのであったか?と。多賀城という名称だからと言って戦国期の城を思い浮かべたりはしませんでしたが、古代の役所、陸奥国にとっては中央官庁にあたるだけに、てっきり広い野っ原に柱跡などが点在する姿を想像していたものですから。奈良の平城宮跡のように…と言っても訪ねたことはありませんので、例えば伊勢の斎宮跡や大阪の難波宮跡、はたまた武蔵国国司館跡などのようにひろびろ感があるものと。
ただ、敷地の広がり云々とは別に、高台にあるだけに見晴らし、見通しはいいわけですね。陸奥国の政治の中心とはいえ、対蝦夷(えみし)の前線基地であったことを考えれば、索敵上からも遠望のきく場所というのは必須要件だったのかもしれませんですね。と、そんな高台の最も高い地点にあるのが正殿ということになります。
正殿があったとされる場所の礎石上にはかように大きな足場が組んであり、「すわ!正殿も復元工事にかかるのであるか?!」と思ったりしたですが、これは多賀城1300年のイベントの一環であったようですなあ。夜になりますと、ここに3Dホログラムで正殿の往時の姿が浮かび上がるということながら、あいにくと訪ねた日は開催日ではありませんで…。
ともあれ、政庁の囲い(の跡)から手前に戻って、城前地区のようすを眺めてみることに。なだらかな斜面を棚田のようなテラス状に整地して、たくさんの建物があったようでありますよ。
柱跡の再現が並ぶ中、屋根のあがっているのは城前官衙の建物のひとつのようで。「多賀城に鎮守府(鎮兵を指揮監督する軍事担当の役所が置かれて」いた頃に、その役割を担った場所ということですな。前方に開けた斜面にあって、奥の政庁本体を守備する位置ともいえましょうかね。
後から聞いた話として、数年前に多賀城を訪ねていた友人の曰く「礎石のある芝地が広がっているだけだった…(また行かなきゃ)」ということでしたので、ずいぶんと多賀城1300年に絡んで史跡公園的に整備したようですな。完全復元される外郭南門は1300年記念イヤーの2024年中、12月末までには公開という目論見だったようですが、11月末の段階を見た限りでは「う~む」と。
斜面下で工事車両の誘導をされていた係の方に(車両の出入りが無いのを見越して)「(2024年の)年内に完成するんですかね?」と訪ねてみれば、「難しんでないの」とぽつり。「そうだろうなあ」と思ったものでありますよ。
ちなみに、直近のところで多賀城市HPを覗いてみれば「令和7年4月の公開に向け、多賀城南門の復元工事を実施しています」という目標で、引き続き進められておるようですな。果たして…。