淀川をたどる旅はようよう大阪市内に到着。前日夕方に枚方から下ってきた船を降りた八軒家浜船着場は、朝の段階では至ってしずかなものでしたなあ。
ここから大川(要するに旧淀川ですな)の下流方向へ向かえば中ノ島に突き当たって流れが堂島川、土佐堀川の二つに分かれ、やがてまた合流して大阪湾へと通ずるわけで、これをたどるも妙味あるところでありますね。さりながら、最終日となって今回の締めくくりには前日に船でとおってきたところを反芻するように、ちと上流方向へ、大川端をゆらりとしてみることにした次第。まずは天満橋を渡って対岸へと。
天満橋の橋自体はおよそ個性的なものでもないですが、東京で言えば隅田川の橋というより日本橋川の橋のように水面との距離が至って近い。思い返せば、昨日の船中で毛馬閘門を抜けたあとに「そろそろ船室へ入りましょうか」と促されたのは、展望デッキに居座っていると頭がつかえてしまう…てなことだったのでしょうなあ。
橋の上から振り返りみれば、「淀川浪漫紀行」の乗船「ひまわり」と思しき船が待機している。この日も(橋をくぐった先にある)八軒家浜船着場を9時半に出航して枚方へ向かう上り船がありますので、準備中といったところでありましょう。
ところでこの天満橋、北へ渡り越したところにある公園内に、かつて取り付けられていた「橋名飾板」が残されて、傍らには「天満橋が初めて架けられたのは豊臣時代といわれている」との説明が。長い由緒ある橋だったのですなあ。洪水で何度も架け替えられているとも。
川沿いの遊歩道を上流方向へ。ほどなく目にするのは、前日には船上から眺めた寝屋川との合流点ですな。上を通るのは京阪電車ですけれど、車体がいつもの京阪色でないのは、色合い的に関西万博PR用かと。ともあれ、この後、天満橋駅から先の線路は地下になるので、ゆるゆる下っていっておりますなあ。
ただ、右手に建つ大きなビルが無ければ大坂城が見えるのでは…なんつうふうに思ったところ、少し進んでみれば建物の陰から、上町台地の際に立つという大坂城が見えてまいりましたですよ。
かように大坂城を見上げるという位置関係からも、大川沿いのエリアが低地であると偲ばれますですよね。それにしても、川沿いの遊歩道を行く道すがら、対岸には木立が多くあり、こちら側もまた川岸が広くとってある。なんとはなし近くに水を親しめる演出がなされているような。東京の隅田川はもそっとコンクリで固めた感がありありですけれどね。
続いて見えて来たのは桜宮橋。武田五一の設計で、その色合いから「銀橋」とも呼ばれるそうな。奥には並行して新桜宮橋が架かっておりますが、こちらは銀橋を念頭に似たイメージで安藤忠雄が設計したということで。桜宮橋のたもとには「ロマネスク風の昇降口が設けられている」(大阪市北区HP)となれば、一応昇り降りしておきましょうか。
ということで大した距離ではないものの大川端をゆらりとしてきたわけですが、桜宮橋から大川下流右岸に見える一群の建物、これが「桜の通り抜け」で知られる(といって、関東者は言葉だけしか知らない…)大阪造幣局であると。
ちなみに大阪造幣局と言ってますが、実は独立行政法人造幣局の本局だとか。大阪の出先機関ではないのですなあ。となればなおのこと、併設の造幣局には立ち寄っておこうかと。桜の季節では全くありませんですが、そうそうここにこの場に来ることもないでしょうから。ですので、次回は造幣博物館を覗いたお話を振り返ることになるのでありますよ。