山形県天童市に来て、(天童そばを食したのは別としても)出羽桜美術館天童織田の里歴史館を訪ねたわけですが、これはちと想定外の展開であったわけですね。当初予定としては、天童駅に到着した後は駅近の食堂ででも昼飯をとり、まず立ち寄るのは駅直結の天童市将棋資料館であろうなあと思っていたのでありますよ。

 

 

将棋にどれほどの興味があるかはともかくも、天童といえば将棋の駒の生産地として夙に名高いところですものね。何しろ、町なかではいかにもなオブジェやら看板やらに出くわすわけで。

 

 

まずもって、市内観光の案内マップが将棋の駒の形をしている…。

 

 

歩道にはやおら、タイルの桝目を使ってどうぞ詰将棋を一局と…。

 

 

郵便ポストの上に、(たぶん)意味も無しに将棋の駒型オブジェが置かれている。

 

 

マンホールの蓋も当然に将棋の駒デザインで…。

 

 

で、将棋の駒生産日本一の町なかには当然に将棋関係の専門店が散見される…という具合なのが天童市街なのですな。まあ、将棋資料館は押さえておくに如くはなしですけれど、将棋のことはひと通り駒の動かし方は知っているというだけの者にとってはで、元よりチラ見くらいに考えていたのですな。ところが、同館フライヤーを手にしてみれば、天童の将棋駒の歴史は天童織田藩にはじまるよ!」と言う記載が。ひょんなことから天童織田の里歴史館を先に訪ねることとなりまして、天童織田藩のことはちと聞きかじってきたものですから、いささかなりとも将棋資料館への関心が高まることになったのですなあ。

 

ということで、天童市将棋資料館の展示を覗くわけですけれど、ちとその前に余談を。町なかを歩いていて、ふと目に止まったのが松尾芭蕉の句碑だったのでありまして。

 

 

まゆはきを俤にして紅粉の花 芭蕉

 

この句は確かに『おくのほそ道』所載句でしょうけれど、天童で詠まれたのであったか…と思ってしまうところですが、実は尾花沢で詠まれたものと。ならば何故?と思えば、もそっと駅近くで見かけたこちらの石碑に「俳聖芭蕉翁は…行脚を続け、…羽刕街道をとおり天童の念仏堂を経て山寺に一泊する」とあることから、要するに天童は『おくのほそ道』で確かに通りすがった町ということ(だけ)のようで。

 

 

ただ、そのことで町なかにはいくつか芭蕉顕彰の句碑が点在するということのようでありますよ。少々、便乗商法感がありますが、将棋だけでは観光的には苦しいのかも…。とまれ、天童織田藩に始まるという天童市と将棋の駒の関わりやら含めて、資料館を見てまいることになるわけですが…そのお話は次回にということで。