戊辰戦争の火蓋を切ることとなった鳥羽伏見の戦い。まさに伏見はその舞台になってしまったわけですけれど、物流の要衝であった伏見の賑わいは戦いの前夜、いわゆる討幕を企てる志士たちにとって密談するに恰好の場所でもあったのでしょうなあ。その中で分けてもクローズアップされるのが坂本龍馬でもあるようで。
京阪電車の中書島駅に降りるとすぐに伏見が「名酒のまち」であるとともに「幕末のまち」であるという説明書きがありまして、有名な龍馬の写真の等身大?パネルが置かれているという。また、駅からまっすぐ北へ伸びる路地は「龍馬通り」と命名されていたりもするのですなあ。
先に鳥羽伏見の戦いで激戦地となったと触れました京橋のたもとからほど近く、伏見みなと公園(三栖閘門に近い伏見港公園とは別の場所)には十石舟に揺られつつ眺めた龍馬とお龍の像がありましたな。公園の入り口としては「なんだぁ?」と感じですけどね。
十石舟の船上から見たときははちと遠目でしたので、もそっと近寄って撮ったところを載せておくとしましょうか。
で、龍馬と伏見の関わりですけれど、中書島駅で見かけた「幕末のまち伏見」解説板からこれも改めて引いておくとしましょうね。
幕末の慶応2年(1866)、薩摩藩の定宿でもあった寺田屋にいた坂本龍馬を伏見奉行所配下の捕り方が襲撃しました。龍馬を暗殺しようと狙っていたと言われています。深い傷を負いながらも、命からがら逃げた龍馬は、傷を癒すために妻となったお龍をともない三十石船に乗って、薩摩の霧島へと淀川を下っていったのでした。これが日本で最初の新婚旅行だといわれています。
てなことで、上に見る「龍馬とお龍、愛の旅路」像という(ともすると『蛍雪時代』の表紙かと見紛う?)記念碑が出来たりもするわけでして、ちょうど像の二人が眺めやる先が宇治川から淀川を経て大坂の八軒家(現在の天満橋付近)につながる水路なのですな。目の前は船着き場然となっておりまして(すぐそばの橋が京橋で、右側のたもとに「激戦地」の碑があります)、折しもまた十石舟が観光客を乗せて戻っていくところでありましたよ。
まあ、こうなってきますと、いかに坂本龍馬にさほどの興味を抱いているわけではない者でも、かつては三十石船利用者のための船宿、現在は資料館となっている寺田屋を訪ねる運びになってまいりますなあ。十石舟の左側の河岸の、一本裏の路地に寺田屋はあるのですし…と、次回は寺田屋訪問のお話となってまいります。