京都・宇治にある平等院を訪ねたところで、鳳凰堂の正面から左手に回り込んで平等院ミュージアム鳳翔館の開館待ちをした…てなところからの続きでありますよ。

 

 

ちなみにミュージアム内は撮影不可ということでしたので入口部分だけですけれど、かような山の斜面を掘り抜いて作られた施設だったとは。まあ、出口の方は暗がりを抜け出してすっかり明るくモダンな雰囲気ですけれどね。こんな具合に。

 

 

ともあれ、ミュージアム内部ではもちろん仏さまは見事ですし、鳳凰堂の由来になっている鳳凰像もまた見事なのですが、ひときわ存在感を放っているように思えたのが梵鐘でしょうか。なんでも「日本三銘鐘の一つにあげられ」ているのだそうで、ミュージアムを出たところに模造品が釣ってありましたですよ。

 

 

説明に「鐘身にほどこされた装飾が美しいことで有名です」とありますが、近寄ってみればなるほどですなあ。で、平等院といえばひたすらに鳳凰堂が知られ鵜ところですけれど、その裏手にもいくつかの御堂がありまして、それぞれに歴史との関わりを残しているという。

 

 

ただ、鳳凰堂の裏を取り巻く建物は室町時代くらいに建てられたたもので、平等院創建に直接関わるわけでもなさそうな。こちらの浄土院も「明応年間(15世紀後半)に平等院修復のために開創された」ということのようですし。それでも傍らに建つ小ぶりの羅漢堂が江戸時代(寛永十七年)の建立というのに比べれば、十二分に古い年代の建築物ではありますけれど。

 

 

ところで、羅漢堂の左手にある石碑に目が留まってしげしげと覗き込めば。元禄時代に造られた石碑で「宇治茶祖 竹庵の碑誌」と看板が立っておりました。碑文の文字は冒頭に「上林竹菴政重碑誌」とあるのが読めましたが、全て漢文なので疲れてしまい…。

 

 

そうは言っても、宇治といえばお茶!と来るくらいですから、平等院との関わりも含め、宇治茶が一大ブランドとなる経緯の一端を平等院HPからさらっておくことにいたしましょうね。

平等院の創建以来、宇治に居住して代々平等院を守護してきたと伝えられる「平等院候人(こうじん)」。宇治にお茶が伝えられるとこの候人たちは茶園経営にも力を注ぎ茶師として活躍するようになります。
江戸時代になると、徳川将軍家の庇護の元に上林峯順(かんばやしほうじゅん)家と上林竹庵(ちくあん)家が幕末近くまで代官として茶師全体を総括し宇治のお茶の信用と安定化を担いますが、数度の大火や明治維新などで大打撃を受けてしまいます。しかし力をつけてきた茶葉販売を行う茶商たちと協力することによってこれらの苦難を乗り越え、現在の宇治茶ブランドの礎を完成させることができたのです。

実は平等院からほど遠からぬところに宇治・上林記念館があって…と後付けで知ることになった(JR宇治駅を利用していたら気付いていたかも…)のですけれど、訪ねておればもそっとお茶の歴史をたどれたかもしれませんですねえ(残念)。

 

 

で、浄土院のお隣の敷地に建つのが不動堂ですけれど、これまた傍らに目を転じますと、「これは?!」と。さきほどは江戸時代くらいではさほどの古さと思えないような歴史感覚になっていることを漏らしたところながら、「源三位頼政公の墓 宝篋印塔」となれば、「おお、かくも古きものが…」と少々色めきたったりも(宝篋印塔がいつ頃のものかは詳らかではありませんですが、ともかく…)。

 

 

 

宇治という土地が数々の戦乱に巻き込まれ…とは宇治橋の解説板で見たところでしたですが、その時にはひとつ、壬申の乱に触れたきりだったものの、以仁王の乱もまたでしたなあ。

 

結果としては平家に追討され、頼政は平等院境内で自刃して果てたと…いうことですが、その場が観音堂裏手の「扇の芝」であった…ということも、後で知った話でして。こうして鳳凰堂の裏手をひと巡りしてきた頃には、もう境内には大層な人出となっておりましたので、「早く退散しよう」と些か浮足立ち、境内案内図をしっかり見ておらなかったというのが敗因であろうかと。

 

てなことで、平等院を振り返る最後の写真は(境内はわさわさしてきていましたので、上を見上げることにして)鳳凰堂の鳳凰堂たる由縁を偲ぶということにいたしましょう。

 

 

 

当初の目論見では宇治だけに帰りがけにでも抹茶ソフトクリームにありつこうかと思ったりしておりましたが、頃合いとしては参道に並ぶお店がようよう開店し始めて、足を止める人が出て来た…という段階でして、ソフトクリームのお店はまだこれからのようで。

 

 

それにしても海外から来られた観光客の方々はお茶にも興味があったのですなあ(日本酒ばかりでなくして)。と、このあとは京阪宇治駅へと引き返し、次なる目的地にまた「京阪電車でGO!」という次第。話向きはまた淀川がらみの方へと戻っていきます。

 


 

…てな具合に、またまた「京阪淀川紀行」が長引いて、未だ振り返りも半ば(は過ぎたかな…)という状況ながら、また少々旅してまいりますのでお休みを。この次にお目にかかりますのは、おそらく7月5日(金)になろうかと思いますが、前日の帰宅時刻が遅めだものですから、もしかすると7月6日(土)になるかも。そうそう、行先は今度は東北でありますよ。ではでは。