さて、京都府八幡市にあります石清水八幡宮に来て、参道(表参道をと思っていましたら、いつしか中参道とやらに紛れ込んでおりましたが…)を登り詰め、男山の山上にある社殿にいよいよ向き合うことになったわけですが、南総門がすっかり足場に囲まれてこの先が危ぶまれる…と感じたものの、これは全くの杞憂でありました。国宝であるとう御本社の社殿はかように、大層凛々しき姿で迎えてくれましたし。
石清水八幡宮の本社は、国内で現存する最大かつ最古の八幡造の神社建築です。一六三四年、徳川三代将軍である徳川家光公により修造されました。石垣の上全体を本社といい、本殿をはじめとする十棟の建造物と棟札三枚が国宝に指定されています。
脇にある解説板には上の説明に続けて「正面の楼門からつながる丹塗の廻廊は神社建築として類例の少ない大規模なもので、その中の建物主要部は朱漆塗です」と。いやあ、参道登りで少々ぼんやり気味のところをしゃきっと目を覚まさせる鮮やかさではありませんか。
と、ここでふと思いますのは同じような朱塗りの千本鳥居があれほどの人出を呼んでいる伏見稲荷大社に比べて、朱塗りの社殿が鮮やかな石清水八幡宮が静謐に包まれている(言い方を変えれば、閑古鳥が啼いているとも?)のはどうしたことでありましょうかね。確かに色は似ていても千本鳥居ほどの「映え」スポットではないからなのでしょう。それに、と言ってどれほど関係しているかは想像もつきませんが、金刀比羅宮だの富岡八幡宮だの鶴岡八幡宮だのが次々に組織を離脱している裏には、神社本庁の人事が関わっていて、中心にいるのがここ、石清水八幡宮の宮司であるらしい。細かいことは分かりませんので深追いはしませんけれど、至って世俗的な諍いは神社の空気感には馴染まないところがありますのものね…。
まあ、余談はさておき例によって「世界平和」を願って参拝を済ませ(おみくじの話のところで、個人的な現世利益がどうのこうのと言ったりする者としては願い事はこんなふうになりますなあ)、境内をぶらりひと巡りということに。
本社の後ろ側には数々の摂社が控えておりますけれど、そんな裏手に廻り込んだところで、「ほお!」と目を止めたのがこちらでありますよ。本社を載せた石垣は基本的に四角形ですが、この一角だけ面取りしてあったわけで。なんでも「鬼門封じ」であるとか。
説明板には「牛の角を持ち虎の毛皮を身にまとった鬼が来ると言われる丑寅(東北)の方角「鬼門」を封じるために、ご本殿の石垣を斜めに切り取った造りになっています」とありまして、確かに他の角には面取りが無い。ただ、神社素人の印象としては、鬼を封じるのであれば、角は(面取りせずに)尖っていた方が効果的なのでは?と思ったものです(笑)。
裏を巡って反対側に出ますと、やたらに大きな巨木が目に飛び込んでくるのでして、ご神木であることはもとより、解説には「楠木正成公が建武元年(一三三四)に必勝を祈願し奉納した楠と伝えられ」、樹齢は約700年とか(年数の勘定は合っておりますな)。先に、二ノ鳥居近くで源頼朝手植松というのを見かけましたけれど、楠木正成の奉納楠が本社の傍にあるのに対して、頼朝の松はほんの入り口付近。頼朝はもしかして仁和寺の法師であったか…と思えば、時代が逆になってしまいますので、仁和寺の法師はむしろ頼朝が植えた松もここにあるしということですでに本社を見たと思ってしまったのでもあろうかと。そうとなれば、なんとも罪作りな源頼朝ではありませんか。
ところでこのご神木の下あたりが分かりやすいですが、本社・摂社を取り囲んでぐるり築地塀が建てまわされておりまして、これを「信長塀」というそうな。なんでも天正八年(1580年)、本願寺を攻め落として翌年には京の都で大がかりな馬揃えを見せるという絶頂期の織田信長が寄進したものであるということでありますよ。耐火性に優れているということですけれど、意に添わぬと相手が寺社でも焼き討ちしてしまう人から防火塀が贈られるとは…。
てなふうに、境内には歴史を振り返るタネがいろいろとある一方で、「いったいどういう関係が?!」というものも見かけたのですなあ。なにしろ「エジソン記念碑」ですものねえ。
解説板に曰く、この場所が「白熱電球誕生ゆかりの地」であるというのですが、も少し詳しく見ておくといたしましょうね。実用化途上にあった白熱電球の点灯時間を長くするため、エジソンはフィラメントの素材を探しており、何千にも及ぶ素材を試していた中で着目したのが「竹」素材であったと。
…助手たちは、京都を含め世界中を調査して竹の標本を集め、そのなかから1000時間以上燃焼する耐久性に優れたフィラメントが生まれ、白熱電球の実用化に至りました。そのときエジソンがフィラメントとして使用したのは、石清水八幡宮近くの真竹だったといわれています。八幡の竹は江戸時代には刀剣の留め具である「目釘竹」の名品として徳川将軍家に献上されており、強くて質が高いことで有名でした。
てなふうなことと電気つながりの延長で、こちらの看板は洒落だったりしませんでしょうか(笑)。
ともあれ、(何かと伏見稲荷大社の混み具合を引き合いに出してしまったのは申し訳のないところながら)実に落ち着いた心持ちで巡ることのできた石清水八幡宮なのでありましたよ。