このほど振り返りを始めた「京阪淀川紀行」で書いておきたいことはたくさんあるのですけれど、GWにうろうろしてきた信州のこともも少しだけ。安曇野にある美術館・資料館をいくつか巡ってきたのものですから。

 

「安曇野市から白馬村まで約50kmの地域をさし」て、そのエリアに点在する美術館・博物館18館を結ぶ「安曇野アートライン」なるものを構成していると。安曇野の美術館といえば、まず碌山美術館、そしてちひろ美術館あたりが浮かぶところでしょうけれど、これは当然のようにアートラインの構成館であるわけですが、実は4館ほど巡って、構成館で立ち寄ったのは一カ所だけ。それ以外は小さな小さな美術館だったりもするのですが、つまりはアートラインに含まれない使節がまだまだあるということですな。このエリアで美術館・博物館を訪ね歩く、それだけでたっぷりとしたひとつの旅にもなりそうでありますね。

 

 

と、それはともかく、まず訪ねたのはアートラインに含まれているこちらの施設、安曇野高橋節郎記念美術館でありました。安曇野に生れた漆芸家・高橋節郎は一般にはあまり知られていないせいか、この美術館が旅行ガイドブックに紹介されているのを見たことはありませんですが、個人的には至って思い入れ強くこの場所を訪ねたのでありまして。それと言うのも、昨2023年秋に立ち寄った愛知県の豊田市美術館高橋節郎館という一棟が設けてありまして、そこで初めて接した作品に「びびびっ!」と来たものですから。以来、安曇野の方も訪ねねばと思っていたという。

 

 

残念ながらこちらでは豊田市美術館ほどには自由に作品撮影ができないようで、写真はおよそ建物関係ばかりなのですが、その作品の一端なりを知ってもらうにはやはり画像がありませんとねえ。ですので(とは都合のいい理解かもですが)展示室ではない休憩スペースに飾ってあった一枚を取り敢えず。

 

 

先に高橋節郎は漆芸家と言いましたですが、ご覧の通りにその作品はいわゆる漆器で想像するところのものとは異なって、漆芸技法で描いた絵画なのですなあ。漆の黒を活かした静謐な画面は版画(浜口陽三のメゾチントとか)を思わせるふうでもあります。が、題材には高橋の個人的な興味が込められていて、この作品ではつぶさに見て取れないものの、古代遺物への関心がありますですね。土偶や埴輪、古墳といったあたりがモティーフとしてたくさん使われている、だからこそ「びびびっ!」と来てしまったところでもありますが。

 

 

古代への憧憬はこうしたオブジェにも窺えるような。なんとはなし、縄文愛の強い岡本太郎の造形との共通性があるように思えるのが不思議なところですね。

 

 

 

でもって、こちらは安曇野の地元で名望家であった高橋家の住まい。つまり、美術館は作家の生家ということになりますが、大正3年生まれの作家の家にしてはずいぶん古風な…と思えば、江戸時代の形に復元してあるそうな。室内には高橋芸術に関わるビデオが流されていて、もしかすると豊田市美術館で見たのと同じだったかなとも…。

 

ともあれ、作品モティーフとして古代憧憬とともに忘れてはいけんのが安曇野が山間の地(といっても「野」というだけあって開けているのですが)であることですねえ。上の挙げた画像にも山並みの遠望が描き込まれていて、これが高橋のトレードマークのようでもあるという。まあ、この生家にあって、周囲の山々を眺め暮らす少年時代であったろうと思えば、当然のことでもありましょうね。

 

 

実際、美術館の廊下部分には大きなガラス窓が設けられていて、山並みを見晴るかすことができるようになっています(電線が邪魔ですが…)。中央にちょこんと雪を頂いた台形の山頂が顔を覗かせているのが常念岳ですかね。同定しやすい山容から安曇野あたりのシンボルのような山であろうかと。春になって雪解けが進むと山頂付近に「常念坊」と呼ばれる雪形が現れて、安曇野あたりでは農家の仕事の目安にもなっていたようですし。

 

ということで、個人的には思い入れを持って訪ねたこの美術館、作品そのものを堪能するには豊田市美術館・高橋節郎館に優るものではないながら、作家の作品制作に関わる人となりを想起するには、この場所は欠かせないところでもあろうと思ったものでありました。