さてと、信濃國一宮の諏訪大社で四社まいりの最後、上社前宮へとやってきました。鬱蒼とした木立に囲まれて、この先に程なく社殿があろうかと思わせるところながら、そうではないのですなあ。取り敢えず、奥に見えている鳥居のところまで進みます。

 

 

と、ここで鳥居の左側に見えている「十間廊」という建物、これの解説文を見ておきたいと思うのでして。

古くは「神原廊」と呼ばれ、中世まで諏訪祭政の行われた政庁の場で、すべての貢物はこの廊上で大祝の実見に供された。毎年四月十五日の「酉の祭」には鹿の頭七十五がそなえられた…。上段に大祝の座、つぎに家老、奉行、五官の座があり、下座に御頭郷役人などの座も定められ、…宴をはった。

 

要するに「十間廊」は古えの大宴会場であったわけですけれど、ここで思い出しておきたいのが「鹿の頭七十五がそなえられた」とあるところですなあ。ここで、先に訪ねた神長官守矢史料館で見た展示を振り返っておこうというわけです。

 

 

上の説明で「酉の祭」とあったのは「御頭祭(おんとうさい)」とも呼ばれるもので、史料館の方の「御頭祭の復原展示」解説文には、こんなふうにありました。

 

 

「神前に七十五頭の鹿をはじめ魚・鳥・獣の肉を山のように盛り上げ、酒を献じ、かがり火に照らされながら神と人が一体になって饗宴を催した」とは、古代の信仰の名残りありありの印象ではなかろうかと。狩猟による獲物を供物とするあたり、ここでもまた縄文とのつながりを想像したりしたものでありますよ。

 

 

というところで上社前宮を訪ねた話に戻りますが、十間廊を抜けていったんは里道(境内らしくない…)のようになった先に本殿はあったのですなあ。ご神体は背後の守屋山(物部守屋?)ですので、やはり拝殿だけといった印象ですね。

 

 

「諏訪大神が最初に居を構えた地と言われ、高台で、豊富な水と日照が得られる良き地あり諏訪信仰発祥の地であります」と、諏訪大社HPにあるのを知らずに、四社まいりの最後に「発祥の地」に到達したわけで、それはそれで何やらありがたみが増すようにも思えたものでありますよ。

 

ところで、紹介文に「豊富な水」とありますのは、「水眼(すいが)」と呼ばれる山の湧き水が境内を流れ下っているからでもありましょう。お社に常にうるおいと清浄さをもたらす源として、「ご神水」とされているようです。

 

 

かような「水眼」の説明を含めた諏訪大社関係の展示解説は、本殿と十間廊の間にある「交流センター前宮」の展示コーナーでも見ることができました。

 

 

神長官守矢史料館と上社前宮を結んで周辺を歩く「鎌倉道遊歩道」が整備されていることもありまして、歩いて回る人たちによって休憩場所としても交流センター前宮は使われているようす。そんな散策路があるということならば、ゆらり歩いて回るのもよかろうなあと思ったものなのでありました。五平餅もソフトクリームも食べられますですよ(笑)。