結果的に諏訪大社の四社まいりとなります最後のお宮、上社前宮へと上社本宮から移動する道すがら、途中で一カ所立ち寄ることに。神長官守矢史料館という施設です。

 

 

さて、史料館の前に付いた「神長官守矢」とは?ですけれど、長きにわたり諏訪大社上社の神長官という役職を務めた守矢氏という方々がおりまして、その邸跡に史料館が設けられているということになりますが、も少し詳しいところを「信州諏訪観光ナビ」HPの紹介記事にあたっておくとしましょう。

神長官守矢家は、古代から明治時代の初めまで、諏訪上社の神長官という役職を勤めてきた家である。大祝(おおほうり)諏方氏(すわし)は、現人神(あらひとがみ)であり実際に神事を取り仕切っていたのは、神長官をはじめとする五官祝(ごかんのほうり)である。

おそらくは長官というだけにかなり高位の家柄と言えるのでしょう。しかも、言い伝えというか想像というか、その域を出るものではないにせよ、守矢氏の名乗りのそもそもに物部守屋の子孫という話もあるのだそうな。古来の祭祀に重きをおいていた物部守屋が、仏教を広める側に立っていた蘇我馬子らと対立して争いが起こった(丁未の乱)。敗れた守屋の子孫が諏訪に寄って、守矢氏となったというものですけれど、やはり古代史ロマンの世界に留まる話かもですねえ。

 

 

ともあれ、史料館の建物がこちらになるのですけれど、なかなかに個性的ですなあ。基本設計を担当したのは建築家の藤森照信(茅野市の生まれだそうで)でして、「諏訪の建造物の特徴や中世の信仰のイメージを取り入れつつ、新たな発想の史料館を建築」するというのがコンセプトだったとか(茅野市HP)。ちと別の方向からも見ておきましょう。

 

 

地元の「鉄平石」を使ったという、長く傾斜した石葺き屋根の裏側に立つ部分の土壁の外壁からは、同じ建築家だからと気付くという以前に、岐阜県多治見市のモザイクタイルミュージアムの建物を思い出させるところでもあろうかと。でもって、この史料館の近辺にはなかなかに奇想な外観を持つ藤森建築があるのですけれど、そのうちの三つほどが史料館の裏手にありますので、巡ってみたのでありますよ。

 

 

どうでしょう、遠目に見てもこの奇想建築ぶり、中空にぶら下がっている物体は「空飛ぶ泥舟」と呼ばれているのですなあ。「茅野観光ナビ」HPには、こんな紹介が掲載されておりまして。

茅野出身の建築家、藤森照信氏が設計した「空に浮かぶ茶室」。 4本のワイヤーで吊り下げられており、地上約3.5mに浮かんでいます。

 

少々ジブリとの関係を想像してしまいそうなところがありますが、その実、用途としては茶室であると?!中に入るには脇に置かれた長いはしごを立てかけて登っていくということですけれど、もちろん勝手に立ちいることはできませんですね。個人所有物だそうですし。

 

 

傾斜地に建っていますので、もそっと裏側の高くなったところから見ると、空飛び茶室からの眺めが想像できるようですねえ。で、かように裏手に廻り見ましたのは、もひとつ別の建物があるからでして、それがこちらです。

 

 

これもやはり茶室ということで「高過庵」と呼ばれる由縁として、やはり「茅野観光ナビ」によれば「そうであるか…」という紹介がありましたですよ。

地上6mの2本の木の上に建てられており、アメリカの『TIME』誌により「世界でもっとも危険な建物トップ10」に選ばれています(1位はピサの斜塔)。

さらにこの「高過庵」の足元にはも一つの奇想建物があるのですな。他の二つに比べると地味ですので見逃してしまいそう。その名も「低過庵」と。

 

 

周囲を巡ってみて「はて、入口はどこに…?」などと思ってしまうわけですが、右手に伸びる鉄骨をレールにして三角屋根がスライドして中に入れる仕掛けであるとは、やはり奇想建築でありましたよ。

 

てなふうに、周りを巡って史料館の話がお留守になりましたけれど、館内の展示はかなりコンパクト…でありながら、インパクトは結構強いものでしたですよ。

 

 

分かりにくいとは思いますが、右側の壁面にずらりと掛けられているのは鹿の頭部なのですな。何故にかような展示が…ということにつきましては、この次に諏訪大社上社前宮のことを振り返る際に触れたいと思っておりますよ。