さて、鹿児島をぐるりと巡った6泊7日の旅も最終日となりました。思えば、到着した日にざーざー降りの雨に遭遇し、鹿児島空港を出てからどこに立ち寄るでもなく鹿屋市のホテルに転がり込むところから始まった旅は、最終日に至ってまたしても雨に見舞われたのでありますよ…。ま、初日に比べれば小糠雨くらいの感じでしたけれど。

 

だもんで、もはや市内でどこかに立ち寄ること無しに空港へと向かうことに。ただそうすると、空港でたっぷり時間が余ることになりますので、ひとつ鹿児島空港から徒歩圏内という施設を訪ねてみることにしたのでありますよ。「バレルバレープラハ&GEN」とは「麹と焼酎とビールのテーマパーク」であるということでして。

 

 

元をたどれば種麹屋さんが始まりで、自らの麹を活かして焼酎造り、次いで「発酵研究の中でチェコビールとの出会いから 霧島高原ビールの製造」を手がけるようになったという株式会社河内源一郎商店が設けた施設だそうでありますよ。

 

 

ビール工房の方は、チェコの小さな田舎町のようなイメージでしょうかね。ただ、この時はクローズしておったようすですので、一番上の写真に見えている麴蔵の方へと入ってみたのですね。

 

 

内部は思いのほか(と言っては失礼ですが)行き届いた作りになっておりましたなあ。奥へと続く長い廊下の左側には麹と会社に関わる展示解説が並び、右側は一部ガラス窓で製造工程が見られる(ときもある)。そして、これを見ながら突き当りますと直売所に至り、焼酎その他の試飲もありという具合。

 

 

で、解説パネルは「日本の焼酎文化を造った男」として創業者・河内源一郎の紹介が最初に来るのですが、「おや?この名前はどこかで…」と。後から気付いてみれば、指宿の「時遊館COCCOはしむれ」で開催していた企画展「海が織りなす焼酎文化~芋・技・肴・器~」で見かけていたという。

 

 

とかく自社の企業史をたどるような展示では創業者などを持ち上げるケースがありますから、見ていて些か眉に唾をしたくなったりもするところながら、上の解説パネルで見るように公共的な?展示施設でもって「近代焼酎の父」、「麹の技術革新」と言われると「おお、そうであるか!」と。ちなみにかかる技術革新とは?ですけれど、解説にはこんなふうにありました。

…南国鹿児島の焼酎に、寒い地方の日本酒に使用される黄麹は相性が悪いのでは…と気付いた河内氏は、沖縄で泡盛に使われていて黒麹に注目。…3年後の明治43(1910)年、ついに泡盛の麹苗から焼酎に一番適した泡盛黒麹菌(学名:アスペルギルス・アワモリ・ヴァル・カワチ)を培養することに成功します。黒麹菌はクエン酸を出すため防腐作用があり、焼酎生産は大きく改良されました。

さらには後に「河内白麹菌」と名付けられる新種も発見、今では黒麹・白麹が「本格焼酎製造用麹菌としてほとんどの本格焼酎に使用されてい」るそうですから、眉唾などと言ってはいけない偉い人だったのですな。自らも多分に焼酎という恩恵に預かっておりますし。

 

 

その後の展示解説には「麹はこんなにも健康のいいのだよ」ということが列挙してありましたですが、それはちと端折るとして、せっかくですので直売所の方で試飲をさせてもらうことに。

 

 

かくて、このほどの鹿児島滞在で飲む芋焼酎の飲み納めをここで。ついでに土産物も少々仕入れて、小やみになった雨の中を鹿児島空港に戻ったのでありました。ということで、長らくお付き合いをいただいてまいりました鹿児島錦江湾紀行はこれにて全巻の読み終わりにございます。ではまた。

 

 


 

旅の振り返りに一区切り付いたところで、遅まきながら2024年のGWらしき過ごし方をすべく出かけてまいりますので、しばしのお休みを頂戴いたします。次にお目にかかりますのは(おそらく)5月8日(水)になろうかと。またどうぞお付き合いくださいまし。