世に「シャーロキアン」と言われるひとたちがおりますなあ。簡単に言えばシャーロック・ホームズのファンとなりましょうけれど、鉄道ファンにも「○○鉄」という下位分類があるように?、おそらくホームズの何にどう入れ込むかは人それぞれだったりするのかも。

 

中には、原典たるホームズ譚はもとより、些かなりともホームズと関わりありそうな書籍を渉猟するてな方向性もありましょうね。おそらくは『文人、ホームズを愛す。』という一冊の著者はそうした人のおひとりなのでしょう。ま、取り上げられた文人たち以上に著者自身が入れ込んでいる人ではありましょうけれど。

 

 

岡倉天心、尾崎紅葉、徳田秋声、田山花袋…と明治以降の文壇(とその周辺)にいた人たちとホームズとの関わり、つまりは著作などでどのように触れられているかといったあたりが次々に紹介されておりますけれど、ホームズ譚が世に出たのは明治の半ばから昭和の初めですので、明治になって欧米思潮が大波のように入ってくる中に、コナン・ドイルの一連の作品も入っていたということなのでしょう。

 

ですが欧米思潮と言って、探偵小説(ドイルにもある空想科学小説のはしりのようなものまで含めて)がこれに当たるとは持ち上げすぎにも思われるところながら、先に読んだ『モダニズム・ミステリの時代 探偵小説が新感覚だった頃』を思い返しても、新しい文学を模索するにあたって、人間心理の奥底に触れるような犯罪を扱う探偵小説やこの後の社会、世界を予見せんとするような空想科学小説は文学の新しさのひとつとしても受け止められていたわけで。作家たちはこぞって、今では大衆小説、通俗小説と言われるミステリーやSFに接近していったのですなあ。

 

余談ながら、著者あとがきに「…敗戦後、科学的精神を養うためにホームズ譚をはじめとする探偵小説が子供たちも推奨された…」てな一文がありました。思い返すに小学校の図書室にはどこにも(というのは転校の関係で、3つの小学校に通ったからですが)子ども向けのホームズ全集が備わっていたのは、(主体は不明ながら)推奨されたという背景があったのでしたか。ま、ルパン全集もあれば、乱歩の少年探偵団シリーズもあったわけですけれど、それらでもって科学的精神が養われた子どもがどれくらいいるのかは、わかりませんけれどね。

 

ところで、明治から大正、昭和のホームズ譚流入当初から100年以上が経過する間に、ミステリー作品の評価にも移り変わりがあったことは、これまた先に再読したイーデン・フィルポッツ『赤毛のレドメイン家』の扱いを見ても想像されるところながら、一貫した人気を保っているのがホームズ譚ではなかろうかと。

 

その辺の背景としては、本書の中で紹介された文人たちが多く共通して挙げている点ですけれど、ヴィクトリア朝当時のロンドンやそこに暮らす人々の様子が非常によく描き込まれているということでもあるようで。ここでは代表例として文芸評論家・吉田健一の引用を孫引きさせてもらうといたしましょう。

…併し何と言っても、コオナン・ドイルの傑作がシャアロック・ホオムスを中心にした探偵小説の主人公というものの典型を作り出しているのみならず、ヴィクトリア時代の英国という、二度と再現されることがない豪奢な世界を捉えることに成功していて、これはどんな大作家も彼に引け目を感じていい奇跡的な偉業なのである。

ホームズ譚には短編・長編があって、比較的短編にこそその真髄があるとされているものと思いますが、推理小説の本来からすれば、短編ではなかなか犯罪に絡む心理の深さにしても壮大なトリックにしても描き出しにくい。それにもかかわらず、短編こそが魅力的とされる理由がこの孫引き引用に現れているような気がしたものなのでありますよ。

 

という具合に衰えない人気のほどは、ホームズ作品の数々のパロディ、パスティーシュを生み出してきたわけでして、それはなにも小説に留まらず、ドラマや映画の題材としても同様かと。ベネディクト・カンバーバッチ主演のBBCドラマ『シャーロック』などは近年の最たるものではなかろうかと。で、話のついでにホームズもじりの映画をひとつ、やはり近年のものから『俺たちホームズ&ワトソン』を見てみましたけれど、ありていに言ってミスチョイスだったようですなあ(笑)。

 

 

そもそもウィル・フェレルとジョン・C・ライリーの共演で「俺たち…」のタイトルまでついているとなれば、「しょうもない…」映画であろうことは火を見るよりも明らかなわけで。見てしまってから覗いたWikipediaには米国評論家の言として「ロンドンを舞台にした最も低俗で最も下品な作品でさえ、『俺たちホームズ&ワトソン』が提示したシャーロック・ホームズとワトソンの冒険より酷いものは描けない」という記載があって、これに「なるほど」と頷けてしまうという。最低映画の表彰で知られる「ゴールデンラズベリー賞」では、最低作品賞はじめ4部門受賞ともなりますと、これはこれであっぱれな気もしますが。

 

ただ、そんなとんでもあっぱれな映画が作られてしまうほどに?シャーロック・ホームズには永遠性があるということでもありましょうか。最後にまたちなみにですけれど、「シャーロキアン」という言い方は英国ではされておらないようで、彼の地では「ホームジアン」というのであると。これも、Wikipediaの受け売りですけどね。