これまで振り返ったところでは、瀬戸蔵ミュージアムとはせともの工場せともの屋など昭和レトロ感のある街並み再現ばかりの施設とも見えようかと。さりながら、陶磁器の代名詞「せともの」に土地の名が付いたやきものの里だけに、当然にしてそれだけの展示で終わるはずもありませんですね。せともの屋の店内を通り抜けた先にあったのは「生産道具展示室」ということで。

 

 

ここでは、やきものの生産過程をつぶさに紹介しつつ、それぞれの作業に使われる道具の紹介と説明があるのですな。「土をつくる」ところから始まって、焼成に至るまで、です。

 

 

「採土」から始まるあたり、古い歴史を持つ窯の由縁はやきものに適した良質の土あらばこそということなのでしょうなあ。

 

瀬戸市の大部分は、三国山と猿投山から広がる花崗岩が風化し、堆積してできた、「瀬戸層群」という地層からなっています。瀬戸層群には、やきものづくりに欠かせない「木節(きぶし)」や「蛙目(がいろめ)」という良質な粘土と、ガラスの原料となる「珪砂」が豊富に含まれる「瀬戸陶土層」があり、とくに木節粘土の質のよさは世界有数で、瀬戸の多種多様なやきものを生み出す源となっています。

と、展示解説にありますとおり、ただただいい土が採れるというような単純なものではなさそうですねえ。「いくつかの粘土や石を配合して使」うということでして、古来、陶工たちが工夫に工夫を重ねてきた成果が活かされているのでありましょう。

 

 

写真では左はじの二種類が「瀬戸の代表的な粘土」であるようですけれど、右が「木節粘土」で左が「蛙目粘土」と。「蛙目」という変わった名前の由来は「石英や雲母がおおく含まれ、雨にぬれた時にカエルの目のようにキラキラ光ることから名付けられ」たのだとか。これがあって、瀬戸でも磁器が作れたということかもです。

 

 

とまあ、こうした粘土や石が「瀬戸キャニオン」とも呼ばれる採掘現場から原料として供給されている。で、これを使って「土をつくる」第二段階、「製土」へと進むわけですなあ。

 

山から掘り出した粘土や石は、固まっており、余分なものが混ざっているので、そのままでは使うことができません。さまざまな加工をされて、はじめて形をつくるのに適した「土」にされるのです。

 

土が採れたら採れたで、その後のプロセスもまた大変なようで。展示では「磁器用の土をつくる工程を中心に紹介」していましたが、「この作業は重労働のため、専門工場での分業化や道具の機械化がいち早く進みました」と展示解説に。「粉砕」ひとつとっても、人力で土石を砕くのは大変なことだったでしょうし。二つ上の写真の右下にちらりと見えている棍棒のようなものでぶっ叩いてもいたようで。それがだんだんと水力利用となり、電力利用となり…。

 

 

真ん中に見えている、ドラム型洗濯機のような機械が「トロンミル」というものでして、「大正10年頃から導入されはじめた画期的な機械」とか。「(土石を)微粉砕しながら原料を調合することができ、原料は乾いたままでも泥状でも使える」というすぐれもの。ドラムの中には球状の玉石が入っていて、回転さえることで玉石と原料がこすれ合って粉砕され、また各種原料を攪拌・調合するのでありましょう。

 

調合が済んだ原料はプレスで圧縮したり、天日干しの自然乾燥でもって水分を飛ばして、いよいよ陶工の手に係る「土練り」段階へと進むことに。やきもの工房でよく見かける菊練りなどはようやくこの段階でできることなのでしょうね。もちろん、大量生産品では土練りでも機械が活躍するわけで、上の写真の左端にある「大砲土練機」や、やきもの工場の方で見かけた「真空土練機」が使われたようで。いずれも手前側の円筒形の穴から、練り終わった土がにゅっと出てくると。

 

 

 

と、ここに至ってようやっと「土をつくる」段階が終了となりまして「形をつくる」段階となるわけですが、ちと長くなりましたので、次に続く…ということで。