千葉県佐倉市の街歩きは、一端は古い時代の話を脱して佐倉市立美術館に寄り道したわけですが、その後はまた少々時代を遡るような感じで。美術館から市街地の裏道を歩くこと20分弱、たどり着いたのは旧堀田邸でありました。

 

 

堀田といえば佐倉のお城のお殿様ですけれど、最後の城主として幕末を迎えた堀田正倫は幕府側に立っていたため、戊辰戦争から明治初年までは苦難続きとなったものの、明治23年(1890年)、旧領「佐倉に邸宅を構え、この地で国の基となる事業をおこなおうとし」たのであると。「明治30年に創設された堀田家農事試験場はその事業のひとつ」ということですな。

 

 

明治30年当時、農業を研究する場所のなかった千葉県に私財を投じて試験場を創設、「県内外の農民に農業技術を教え、種苗・種禽・種卵を配布し」、県の農事試験場の運営が軌道に乗る大正15年(1926年)まで続いたということです。広い敷地のほとんどは、現在では介護施設と病院に使われておりまして、旧堀田邸として公開されているのはその敷地の奥まった一部であるようですな。では、そのお邸の方へ。

 

 

世は明治となっておりましたが、それでも幕末生まれのお殿様だけに大名屋敷然とした印象を受けるところではあります。おそらくは都心にあった大名屋敷の数々は悉く再開発されて跡形も無く、一方で東京・駒場の日本民藝館近くにある旧前田家本邸のように(いかにも明治な)洋館でもない(和風建築も付随してますが)建物が残っているのは珍しいことなのかも。

 

 

そうしたこともあってか、旧堀田邸は時代劇ロケなどに数多く使われているそうな。昨秋にもNHKドラマ『大奥』シーズン2の撮影があったようですし、比較的最近では昨2023年のNHK正月時代劇『いちげき』やTV朝日のスペシャルドラマ『津田梅子~お札になった留学生~』など、古い所ではドラマ『JIN-仁-』、さらには戦隊もののひとつ『侍戦隊シンケンジャー』なんつう作品まで。人気のロケ・スポットなのですなあ。

 

で、邸内のようすですけれど、細かなところへの配慮はあるのでしょうけれど、やはり明治になって江戸時代のお殿様とはようすが異なるのか、贅を凝らしたというふうでもなく、どちらかといえば質実剛健とでもいう印象でしょうか。なまじ広いだけに「だだっぴろいな…」感も少々。逆にそれでこそ、ロケで使いやすいと言えるのかもしれませんですねえ。

 

 

こちらはもっとも奥まったところにある座敷でして、てっきりお殿様用かと思い、殿に目通りの際に平伏するとこんな見え方にもなるのかな…と想像するも、実際には客間であったようで。右側には、今では「さくら庭園」と言われる庭が広がっていますので、これを望める一室は最上のもてなしであったのでしょう。

 

 

で、庭園側に回って、こちらがちょうど奥座敷のあたりと思うところながら、実は玄関を出て庭に回り込む途次、「下総佐倉成田紀行」書き起こし段階で申しましたように、カメラを落下させて破損するという(個人的)大事故に遭遇し、急遽携帯電話のカメラ機能で代替するという事態に。従いまして、ここから先は時代遅れのガラケーによる撮影か、破損カメラが何とか使えないかと四苦八苦しつつ撮った写真で、数が少なく、かついわゆるピンボケ的なるものが登場するであろうことを予め言い訳しておく次第でありますよ(無念…)。