今年2024年の初詣は、ちょいと足を延ばして東京・あきる野市にある大悲願寺に出かけたと申しましたですが、その境内で見かけた看板をふいと思い出したのですなあ。

 

 

看板に曰く「映画五日市物語ロケ地」と。『五日市物語』?知らんなあと思ったわけでして、レビューなどにあたってみればかなりボロボロに突っ込まれていたりしていることが判明したのですけれど、取り敢えずは思い出しついでに見てみることにしたのでありますよ。

 

 

まあ、見て分かることは、ボロボロに突っ込まれてしまう理由としてこの映画が偏に「あきる野市の、あきる野市による、あきる野市のための映画」だからだということになりましょうかね。そも「あきる野市制15周年記念事業」として大いに市が関わっておりますし、それ以上に「市役所の人が監督?」てな話もありますしね。でも、多摩地域在住者としてはさほど遠からぬ意識のせいか、面白く見られたのですけれど。

 

東京・渋谷にある情報収集会社(TVなどの番組制作のための下調べなどをする会社らしいですが、そういう仕事もあるのですねえ)にTV局からあきる野市を取材対象にドキュメンタリーを制作するとして、事前取材を任された友里(遠藤久美子)がいざあきる野市へ。

 

元来「あきる野市って、何県ですか?」と言ってしまうくらいですから、「なぜ私が…」とちょっとした左遷感を抱いたりするわけですが、上司(井上純一)から「五日市は(会社のある)渋谷が村だったころから町だったのだ」と聞いて「ほお」と。

 

あきる野市は1995年(平成の大合併以前)にお隣の秋川市と合併して誕生するのですけれど、都心にやや近い秋川市の方に市役所もあり、賑わいの中心になっているようになっているも、かつて秋川のあたりが畑ばかりだった頃、それこそ渋谷が村だったくらい古くから、五日市町は賑わう町だったのですなあ。なにせその名のとおりに「五」のつく日ごとに市が立っていたわけで。

 

古今東西、「モノ」の集散があるところに市が立つのでしょうけれど、明らかに山間部の集落で立ったのは炭の市であったそうな。それだけ、長く長く林業をなりわいにしてきた土地柄なのでありましょう。主人公・友里がインタビューする油屋旅館(実在)のおばあちゃん(草村礼子)の父も祖父も筏師だったことに絡み、昭和初年段階では続いていた木材の切り出し、丸太を並べて筏に設え、川を筏師が下らせるようすを、映画でも紹介しておりましたよ。

 

ともあれ、あきる野の、という以上に五日市の自然と人のぬくもり、取り分けよそ者をよそ者扱いしないところに惹かれた友里が、案内を手伝ってくれた市役所職員(どうやらフィルムコミッションの担当らしい)と仲良くなってあきる野に居ついてしまう…というのは、出来すぎな話ではありましょうけれど、この包容力といいましょうか、そのあたりを五日市憲法草案が生み出された背景とつなげてもいるような。起草者と知られる千葉卓三郎は元仙台藩士の流れ者のようでもあり。

 

ただ、一方で市が立つ土地柄には各所からさまざまなものが(情報なども)入ってくるだけに進取の気性が根付いてもいたことはありましょう。千葉とともに五日市学芸懇談会を催した近在の名主・深沢権八や懇談会に集った面々も、五日市という山間にありながらも江戸期とは異なる新しい風を感じていたのでしょうなあ。そんなこんな、五日市のことを知るにつけ、興味も増すところではありましたよ。

 

今では都心への通勤者も増えて、ベッドタウン的な位置づけの町になっておりましょうけれど、ちょっと奥へ入れば「五日市訛り」(俗にべえべえ言葉と言わる類いのひとつかと)が聞こえてきたりもする中で、油屋のおばあちゃん曰く、今は都心でも普通に使われる「うざい、うざったい」は五日市訛りなのだよと。よもや方言発祥の言葉とは思いもよらず…。

 

映画を見ていて、「おお、この場面で大悲願寺が…」と境内のようすを思い出したりしたわけですが、ロケ地めぐり(あきる野市HPにはマップが掲載されている)まではともかくも、またあきる野へ、五日市へ出かけてみようかなという気分にはなりますですね。それこそ、地域振興を目論んだ市役所の思う壺なのですけれど(笑)。