千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館。折しも開催中の特集展示「北の大地が育んだ古代-オホーツク文化と擦文文化-」をお目当てに出かけたわけですけれど、思いのほか展示スペースが小さくて…。そこで、前回訪れた際にはつまみ食いであった常設展示の方を見て周ることに。とはいえ、今回は今回で佐倉市内のスポットをあちこち歩いてたどるつもりで出かけましたので、特集展示とは打って変わって膨大な常設展示の、これまたほんの入り口あたりだけ。北方のオホーツク文化とも絡む古い古い時代を中心に巡ったような次第でありますよ。

 

 

 

いわゆる人類がアフリカに誕生して以降、生息域の拡大とともに適応と変化(’一般には進化といいましょうね)を繰り返して、日本列島にたどりついたのは約3万7千年前であると。ちなみに、約4万年前の南関東、霞ケ浦の周辺はナウマンゾウをはじめとして「大型動物の楽園」であったそうな。

 

 

そんなところへ人類は到達した…となりますと、先住の大型動物たちにとなっては生態系に影響を及ぼす特定外来生物が出現したような状況だったでしょうか。『はじめ人間ギャートルズ』(これの時代考証がどうなのかは疑問ですが)を思い出せば、大型動物は追いかけ回されて…と思うところながら、解説に曰く「これらの動物が旧石器時代人の狩猟対象となっていたのかは不明」なのだそうで。ただ、鹿くらいは狩っていたようで。

 

 

『はじめ人間…』に登場するゴンや父ちゃんは腰蓑(というのかな)ひとつの姿で描かれますけれど、さすがに暑い気候の場所ばかりではありませんし、ここでは衣類を見にまとった姿になっておりますね。狩りの成果は当然に、食糧というばかりでなしに獣皮を加工して(なめして縫って)衣類やブーツ、手袋をも作っていたようです。石器時代と言われるだけあって、石製の道具がさまざまな用途に生み出されていたわけで。

 

 

それだけに、後期旧石器時代の人々はつねに良質の石材を求めていたそうな。切れ味鋭い黒曜石などは長野県の諏訪地方や伊豆諸島にある神津島を産地として、「石材交換ネットワークも発達していたことだろう」と言われているようで。こうしたヒトの社会性といいますか、そんな点にふれてこんな解説がありましたですよ。

普段、わたしたちが何げなく使う言語や絵画・文字による情報伝達(シンボルの使用)、食料などの交換体系、資源獲得の計画性にみられる時間の管理・新しい道具を次々と発明する能力などはホモ・サピエンスのみがもつ特徴で、現代人的行動とよばれる。日本列島最初の人々にも同じような特徴がみられ、3万5千年前には100kmもの海をわたり黒曜石を獲得した。

 

なんでもかんでもひと口に「原始人」などと言ってはいけませんですねえ。「現代人的行動」とされるものはすでに新人と言われるホモ・サピエンス段階ですでにその特徴となっていたとは。

 

ちなみに右側の人骨は、約2万年前、旧石器時代のものであると。沖縄県の港川で発掘されたことから「港川人」とも呼ばれておりますね。身長は150cmくらい、「上半身は華奢だが下半身はがっしり」という体形であるとか。調査結果として「港川人はオーストラリア先住民やニューギニアの集団に近いと推測された」ようでありますよ。

 

 

と、ひとしきり石器時代を眺めてきましたので、お次は縄文時代のお話…といって、これが順々に歴史をたどって現代にまで至るのが展示詳細ながら、冒頭にも触れましたとおり、途中で打ち止めとなりますのでご安心を(笑)。