のんびりとゆったりと市内に連泊を続けた長崎滞在もいよいよ帰途に就く日となりまして、空港へ向かうまでの合間を利用し、ちょいとひとつだけ立ち寄ったところがあるのですな。ホテルからぶらぶら歩いて長崎県美術館へと向かう道すがらで見つけたものですから。

 

 

出向いたのは長崎税関でして、ここに税関資料展示室があるということで覗いてみるかと。まあ、税関の資料展示は横浜にも神戸にもあるところながら、長崎の場合は海外交易の歴史が長いですかならねえ。古くは出島でも税関的な役割を果たしていたでしょうし、開国直後には湊会所が設けられ、それが長崎運上所、さらに長崎税関へと受け継がれたわけで。展示としては、庁舎一階の片隅という小さなものでしたですが、取り敢えず入口へと。明治時代の制服を来た職員(もちろんマネキンなんですが)が出迎えてくれますですよ。

 

 

名称の変遷は先にたどったとおりですけれど、出島時代をもそっと補足する説明はこのように。

江戸時代には、長崎税関の前身といわれている長崎会所が、出島や新地蔵において貿易品の荷改め(貨物検査)を行っていました。長崎会所は、貿易の決算、幕府への上納金など、会計・貿易業務を一手に取り扱った機関で、長崎税関の前身と考えられています。新地蔵は、中国からの貿易品を置く倉庫で、現在の新地中華街付近にありました。

と、ここへ来てようやっと「ああ、あれが…」と。そも長崎到着初日にふらりと中華街を覗いたおりのこと。蝦多士(ハトシ)を買いに出かけたわけですが、購入したお店の向かいにあったこんな碑が目にとまったのですなあ。

 

 

解説板に目を通すことも無しに「しんじぞうあと?」と読んで、「おじぞうさんでも立っていたかな…」と思ってそのままにしてしまったですが、実のところは「しんちぐら」と読むべきところだったのでしょう。上の説明にある「中国からの貿易品を置く倉庫」がこのあたりにあったということで。

 

 

ちなみにこちらは円山応挙作と伝わる「長崎港之図」(部分)折のこと。応挙が描いたとなれば江戸中期頃の長崎かと思いますが、右下に扇形をした出島があり、その左手、やはり海に付き出して四角く囲われているのが新地蔵であるようです。現在の保税倉庫ではありませんけれど、出入りは一カ所で厳重にという点では出島と変わらぬ警護状況だったのでしょう。

 

上の絵でもたくさんの船が描き込まれているところながら、開国後の明治初年となりますと長崎港は殷賑を極めたといいましょうか。朝井まかての小説『グッドバイ』の主人公・大浦慶が眺めた長崎港もこんなだったのかなと、写真パネルの展示を見て思ったものでありますよ。

 

 

とまあ、長い歴史のある長崎税関なわけですが、今は今で現代の税関業務を行っているのですよね。普段は海外旅行から帰国した際に、空港で「申告無し」と通り過ぎるのが税関であるような気がしておりますけれど、「見つかったらどうしよう」的な品物を保持している場合には厳しい摘発機関と見えましょうなあ。

 

麻薬の類いは言うに及ばず、ワシントン条約に抵触する動植物とか偽ブランド品だとか、そうした品々を何とか隠して持ち込もうとする輩を水際で食い止めるのが税関職員なわけですから。しかしまあ、映画やドラマじゃあるまいし、こんなやり口で本当に捕まったケースがあるのかと口あんぐりにも…。

 

 

ぬいぐるみのおなかや二重底のスーツケースから覚醒剤が出て来たり…。

 

 

厚みのある本を刳り抜いて拳銃が隠してあったり…。

 

 

偽ブランドのバッグがそれと知れないように、全く異なる柄でコーティングしてみたり…。新聞やTVのニュースなどでも、この手の話を見聞きするたびごと、「この創意工夫をもそっと違う方面に発揮すればいいのになあ」と思うのですがねえ。長崎税関資料展示室で、つくづくそんなことを考えるひとときなのでありました。