時折、NHKで『神田伯山のこれがわが社の黒歴史』という番組を見かけますけれど、かつてあった『プロジェクトX』あたりの熱血成功物語とは正反対に、ゆるくゆるく企業の失敗経験を物語るという番組は、企業史の点にも些かの関心を抱く者には興味あるところですけれど、それはそれとしてここで注目するのは「神田伯山の」の部分ですなあ。講談師・神田伯山…TVで冠番組がもてるほどに有名になったのはどうしたことでありましょうかね。
しばらく前に、遅まきながら日本の古典的な大衆芸能の数々に興味を募らせ、落語はもとより、講談、浪曲、女義太夫、琵琶楽などなど、さまざまな公演の会場に足を運んでみたことがありました。講談や浪曲に関してはEテレ『日本の話芸』などでも時々演者が登場するように(?)、落語の定席と言われている寄席でもたまに見かけることはありますですが、一回の公演でずらり並んだ落語家の中にせいぜい一人入るくらいなものですな。
浪曲は辛うじて浅草に「木馬亭」なる小屋が「浪曲ならばここ!」という感じで残されている一方、講談の場合にはやはり浅草にあった「本牧亭」がたたまれてからはいわゆるホームグラウンドを失ってしまっている。それだけ、講談は厳しい環境におかれているということでもありましょうかね。
で、そんな講談を聴きに出かけたのは上野にある「お江戸上野広小路亭」というところ。落語メインながらも、月例ペースで講談尽くしの会が行われていたものですから出かけてみたですが、その際に神田伯山、当時はまだ二つ目で神田松之丞という名乗りでしたけれど、その口演に触れていたわけです。その時の印象はといえば、こういってはなんですが、とてもとても今現在の人気を想像できるところではなかった。だもんで、いつのまにやら真打に昇進、同時に伯山という大看板を襲名したと聞き、またTVなどでも見かけるようになったことに、「あらら…」の思いがあるという次第。
と、またまた長い前振りですが、近所の図書館の新着図書コーナーでその神田伯山の『講談放浪記』なる一冊を見かけて、手に取ってみたというお話になるのでありますよ。
何かしらのTV番組で、この松之丞改め伯山が講談への思いなどを語っていたのを見たことがありまして、語り芸として落語とはもちろん異なる講談ならでは魅力がある、例えば軍記物の出陣シーンなど畳みかけるような早口のテンポの良さなどはそのひとつかと。ただ、伯山曰く、伝統芸として語り伝えられた本をそのままに読んで伝える心地よさはあるものの、そこに登場する語彙がもはや一般に通じないようになっているのでもあろうかと。確かに古風な語り口が多いのは間違いのないところです。
そこで事細かに説明してしまっては興ざめにもなるところを、どんな補い方をすれば伝わるようになるか。このあたりが工夫のしどころでもあるというのですな。確かに、そういう要素は演者の側として工夫が欠かせないのでありましょう。その点、落語はどのように語るかが個々の噺家による裁量度合いが高いので、そんなことも落語と講談に聴かれ方の差になってもいるのかと。
でもって『講談放浪記』ですけれど、「講談の舞台を歩いてみてはどうでしょう」と。いわば「聖地巡り」をしてみませんかというわけです。元来、アニメなどに見られる「聖地巡り」はその作品自体が話題となり、人気を呼んでいるからこそ、その舞台に行ってみたいとなるわけですが、ここでのサジェスチョンは舞台となった場所、関連資料を保管する資料館などを訪ねて、背景などをあれこれ知った上で講談の話を聞くとより理解が深まり、また面白く聴けますよということ。飽くまでも講談への関心を持ってもらいたいという一心なのでしょうなあ。
現時点で注目されている人である。だから、本を出せば売れるだろう。それは出版社側の目論見なわけですけれど、それに乗っかって本を出すとなれば、要するにタレント本となんら変わらないようにも思えてくるところです。それでも、本人の人気に乗じて、あわよくば講談の復興(本牧亭のような定席の復活?!)をと考えるあたり、講談愛が詰まってもいるような。
最後の章は、師匠である人間国宝・神田松鯉(かんだしょうり)との対談になっておりまして、その中で師匠が弟子にこんなことをいうのですな。
こんな機会だから言っておくけどね。いま講談界全体が、お前のおかげで活気づいてる。自分の弟子にこんなこと言うのもヘンだけれど、すごい人が出てきてくれたと思って感謝しているんです。ただ、これをこのままで終わらしちゃいけない。私たちは足を引っ張らないよう、支える役をやりますから、お前には遠慮しないでどんどんやってもらいたいと思っているんですよ。
まさに講談界のホープ(希望)となっているようで。ただ、芸でもって人間国宝になった師匠として、伯山の口演にはまだまだ磨くところがあるだろうとは思っているのではなかろうかと。されど、それを補って余りある勢いと、本やTV出演なども通じて講談の面白さを伝えてくれる才能には一目も二目も置いているということかもしれません。松之丞時代の口演を聴いた印象からすれば、受けはいいものの、いささか劇薬っぽいところがあるように感じたわけですが、その劇薬を今の講談界はカンフル剤として、この後の展望が開けることになるのかもしれませんですね。