本当ならばひと月ちょいと前くらいに聴いているはずだった浪曲 の生公演。
その時にはふいに襲来した風邪のために出かけるのを見合わせましたけれど、
ようやっと機会が巡ってきたのでありました。
このたび出向いたのは浅草 。
観音様の境内から左に抜けた「奥山おまいりみち」にある木馬亭では、
毎月月初めの一週間、浪曲定席が設けられているのでありました。
1970年から(といって、これが古いと見るかどうかは意見の分かれるところでしょうけれど)
浪曲を支え続けて40余年(ときくと、ほお~とも思う)というのが、木馬亭なのだそうで。
そんな浪曲の牙城へと出かけてみたのでありました。
浪曲を生で聴いてみようかな…と思った背景は前にも触れましたとおりに、
広沢虎造の影響が大きいわけでして、他に浪曲と言って思い出すのは
一節太郎の「浪曲子守唄」くらいなもので、要するにかなりだみ声といってもいいものを
浪曲と認識していたようなわけです。
が、浪曲師によって声はそれぞれ、必ずしも虎造節を思い出させるものではありませんので、
その意味ではかつて講談 の生公演を聴きにいったときほど即座に
「浪曲、いいね!」という域に達するでもなく…。
しかしながら、これは講談のときと同様ですが、
一回の公演で次から次へと出て来る浪曲師の唸り(?)を聴いているうちに
何となぁくその世界を感じるようになってくるのですね。
2番目に登場した玉川太福(たまがわだいふく)はおそらく若手のホープなのでしょう、
客のつかみが非常に上手で、自分の世界に引き込んでいく力量がある。
それだけに次郎長伝の「石松代参」から「三十石船」とへ続く件を演じて、
虎造とは違う流れ(出て来るのは江戸っ子でなくて甲州人)で勝負したりする
チャレンジ精神があるようで。
ですが、出番の早い人たちに共通するのが、節回しの違和感といいますか。
例えばクラシック音楽の楽譜に出て来る装飾記号の「ターン」を演奏するときに、
普通はきれいな音の旋回が装飾として付け加わるわけですが、
その音の旋回の中にどうも座りの悪い音が混じっているような具合。
おそらくは修業と経験を積むことでしっかり身についていくのでしょうけれど、
これがこの日は最後から2番目(前日の公演ではトリ)に登場した天中軒雲月という人。
出てきたときには「待ってましたぁ!」、終わったときには「日本一!」と声が掛かるくらい、
知る人ぞ知る浪曲師なのでしょうけれど、この人はうまい!
節回しの違和感などはやっぱり上手が演ずれば全く無いどころか、
ぴたぴたと決まっていく感じ。見事なものでありましたですよ。
赤穂義士外伝の「忠義直助」を演じて、節回しばかりでなく話芸としても相当であるなあと。
とまあ、滑り出しをいささか危ぶんだものの(と、ひとえに個人的感想ですが)、
尻上がりに「ううむ、これが今の浪曲なのだね」と感心していったような次第。
演目からしても(講談に軍記ものがあるのに比べ)
博徒ものや人情に訴えるもの(講談にもありますが)に比重が置かれていること、
そして聴いた側が(講談の語りを真似しないまでも)ついひと節うなってしまいそうになるところも
庶民的であって、かつては大衆芸能の雄(?)であったことも偲ばれるような気がしたものです。
個人的にはいささか講談の方に寄った志向かとも思いますが、
浪曲師の個性の違いが大きく好き嫌いに直結するだけに演者を選んで(とは失礼ですが)
浪曲の方もまた聴いてみたいと思うのでありました。


