毎週日曜の午後にEテレで放送されている「日本の話芸」はもっぱら録画で見ておりますけれど、
主に落語が取り上げられる中に、時折(月1回くらいの割でしょうか)講談なども入りますね。
落語の演者、つまり落語家、噺家という人たちはTVでもまま見かけますし、
落語自体にも触れる機会はないではないことから、
自然と好んで見聞きするようになっていったものの、
講談となりますと、さほどの機会があるわけでなし。
それに同じ話芸ということでは、
笑っちゃうのが落語だとすれば、そうでないのが講談?と思っていたり、
またかつては日本史の関係にさほどの興味がなかったところへ語られるものは
基本的に日本史がらみでありますから、近付く切っ掛けすらなかったわけですね。
ところが、歳を重ねて興味の対象が和モノの方にもぐんぐん広がっていく中で、
改めて講談に接してみますと、これが思いのほか面白いということに
ようやく気付き始めた今日この頃と申しますか。
昔、ハリセンをぶっ叩きまくるパフォーマンスが子供心には大いに笑えた田辺一鶴なんつう
講釈師をTVでまま見かけもしましたが、あの人は特例だろうと思うと必ずしもそうでもないような。
一鶴先生ほどではないせよ、それぞれのやり方で話の中にくすぐりを入れたりするのですなあ。
こうなると、落語と講談の違いとははて?両者に同じ題材を扱ったものもあるし…
てな気がしますが、決定的な違いが(言わでもがなですが)語り口の調子でありましょうね。
パンパンパパンと畳み掛けるところは軍記物にぴったり、
こうした語り口調は落語ではやりませんものね。
てなことが背景にあったものですから、いつぞやたっぷりと講談を生で聴いてやろうと
日頃から講談公演の情報を求めて検索してみたりしていたという。
それが、この年の瀬も押し詰まった折も折、赤穂義士伝も演目に並んだ公演を発見、
いよいよこのたびデビュー戦に臨んだ、というまあ、そういう次第でありますよ。
出向いたのは、年末のこの時期、買い物客でごった返すアメ横への玄関口である御徒町駅、
そこからほど近い上野広小路交差点にある、その名も「お江戸上野広小路亭」でありました。
近くにある「鈴本演芸場」がいわゆる劇場であるとするならば、
こちら「お江戸上野広小路亭」はいわば小劇場の雰囲気。
高座と客席、ひいては講釈師と客席が近い、近い。
これで客いじりでもされたらかなわんな…という感じですが、
講釈にその心配はいりませんかね。
12:30開場、12:50開演と案内されているも、12:00の当日券売り出しと同時に
誰もが会場に入って場所取りをし、そのまま待っている。
そうこうして開場時刻にはまだ早いという頃合いに、早くも前座さんが登場してきたですが、
おや?と思うまでもなく、今さっき木戸口でもぎりをしていたお姉さん(といってもアラフォーらしい)
その人が張り扇パンパンと語り始めたではありませんか。
なんだか手作り感に溢れている気がしたものですが、そういうものなんですかね、講談の公演は。
前座のお二人が「勉強させていただきます」と語っているうちに、
正規の開演時刻となって二ツ目、真打と続々登場。
こういっては何ですが、やはり昇進するにはそれだけ話芸に磨きがかからんといけんだなと
素人にも何となく察することができましたですよ。
それにしても、次から次へと語られる演目の主人公たちは
宮本武蔵であり、真田幸村であり、左甚五郎であり、はたまた大岡政談からの一節あり、
大衆演劇でお馴染み「瞼の母」番場の忠太郎や歌舞伎十八番「助六」、
いささか変わったところでは(落語で言えば新作か)与謝野晶子といったあたり。
いやあ、歴史やら江戸文化やらにいささかの興味があるならば、どれもこれも面白い。
そして最後に控えていたのが赤穂義士伝より「義士勢揃い」、蕎麦屋での話ですな。
昔は師走ってえと(口調を真似たくなったりも)義士伝を語ってくれと
お座敷なんかにも呼ばれたんだそうですな。
ちょっとした忘年会の宴席でもありましょうか、講釈師を読んで赤穂浪士の一節を聴く。
ああ、年の瀬だなと。
今ではそんなお呼ばれはとんと無くなったようですけれど、
師走に聴く赤穂浪士のお話は、こういっては何ですが「第九」を聴くよりも
日本人の季節感にはしっくりくるような気もしたものでありますよ。
前座話のうちは客席を埋める人もちらほらで「これが今の講談人気?」と思い掛けるも、
話を聴き進めるうちにいつしか周りは8割がたの埋まりよう。
元来、大きな小屋ではありませんですが、それなりに人が集まるものであり続けていることに
なにやらホッともするような。
とまれ、全てを聴いて3時間半ほど。いやあ、面白かった!
戦国時代以降の歴史ものがお好みで講談未経験の方にはお勧めしたくなったりするとともに、
自身またすぐにも足を運びたくなってしまっておりますよ(笑)。


