画家のマルク・シャガールが故郷ヴィテブスクを回想して描いた作品などにはよくヴァイオリン弾きが登場しますですね。ミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』なんつうのも思い出したりするほどに、ユダヤ系の人とヴァイオリンは強い結びつきがあるような。巨匠と言われるヴァイオリニストの中にもユダヤ系の方々の名前が挙がるのもむべなるかなでありましょうか。

 

で、(実話ではありませんけれど)将来はそんなヴィルトゥオーゾの仲間入りか?!とも目されたユダヤ系ポーランド人のひとりの少年ドヴィドルのお話。映画『天才ヴァイオリニストと消えた旋律』は、ヴァイオリンの腕を磨くため、ドヴィドルが父親に連れられてロンドンにやってくるところから始まるのでありましたよ。

 

 

「やがて将来有望なヴァイオリニストとして成長したドヴィドルは、デビューコンサートの日に忽然と姿を消した—。」(同作公式HP)とありますように、ミステリ・ドラマを標榜してもいますので、ドヴィドルが姿を消した理由のあたりは映画そのものをご覧になっていただくとして、ただユダヤ系の彼がロンドンでヴァイオリン修業に励んだのが第二次大戦を挟んだ十数年であった…となりますと、まあ、ホロコーストにも関わる話だろうとは想像がつくところです。

 

邦題に「…消えた旋律」とありますが、原題は「The Song of Names」と。天才ヴァイオリニストを引き合いにもしてミステリ色を強く出す邦題に対して、原題の持つ意味は重い…のですが、これも深入りせずに…。

 

物語はドヴィドル失踪後35年を経て、彼と友達だったマーティン(成人した姿をティム・ロスが演じる)がその足どりをたどるのことになり、いったんはポーランドに帰っていたことを知るのですな。と、ストーリーを追うのはここまでにしますが、ポーランドに帰ったドヴィドルが一時、交際していたポーランド人女性をマーティンが訪ねた際に彼女がつぶやくひと言が印象的といいますか、心に深く刻まれるところとなりますですね。曰く、結局のところ、ポーランド人も加害者だったのだと。

 

第二次大戦において、ナチス・ドイツはユダヤ人の大量虐殺を引き起こしたわけですが、その一方で戦争の発端はドイツ軍によるポーランド侵攻(ソ連との分割)と、ポーランド人もまた被害者であろうと思うところです。確かにそうなんですが、ことナチス占領下となったポーランド国内ではサバイバル合戦のようなことにもなってしまったのでしょう。例えば自らが生き延びるための術としてユダヤ人の潜伏を密告するようなことにもなってしまうとか。

 

より弱者をより悪者として扱ってしまうヒトの習性といいますか、このあたり、アメリカ南部のプランテーションにおける富裕層白人、貧困層白人、さらに下には黒人奴隷がいるという構図が作られた過程にも見ていたわけですけれど、近頃では折しも関東大震災100年として大災害を振り返る中、日本人ではない(ともすると、方言が通じないので外国人と目されて)という根拠?でもって暴行されたりしたことが思い返されたわけですが、ヒトの習性(といっていいのかどうか)のひとつの発露なんでありましょうか。

 

話を第二次大戦下に戻しますと、先に触れた点から「ポーランド人も加害者」とも言えてしまうようではありますが、これがポーランドばかりの話でないことは、オランダでもフランス(映画『サラの鍵』が思い出されます)でもあったのですよね。そして、ウクライナでは、関東大震災の時に飛び交ったデマの対象がユダヤ人にされて…。

 

ヒトの習性などと言ってしまいましたですけれど、下には下がいるとすることで安心感を得ようとするような形は、いつでもどこででも起こる可能性を、ヒトは抱えてしまっているのかも。それだけに、ヒトが人、人間となったことでできる思い巡らしを忘れてはいけんねということなのでありましょうね。

 

ちなみに、映画としての全体像はお薦めに値するのか、微妙ですけれど、それこそ思い巡らしの種にはなろうかと思った次第でありますよ。