先日は映画『レジェンド&バタフライ』の話で、夫婦愛、夫婦愛と申しましたですが、考えて見ると映画の中で信長と濃姫はかなり現代的な恋愛とも言えるような状況ではなかったかと(もちろん戦後時代が背景ですので、夫が合戦に出かけるといったことはおよそ無いわけですが…)。折しも読んでおりました朝井まかての小説『朝星夜星』の方は、幕末維新期と戦国の世よりは時代が進んでいるものの、古風な(いわば封建的な家制度の中での)関係ながら、やっぱりこれはこれで夫婦愛の物語でありましたなあ。ま、帯にも「夫婦で挑んだ」とありますしね。

 

 

ただ、読み始めはあまり(例によって)予備知識が無かったものですから、以前読んだ『雲上雲下』と今回タイトルの『朝星夜星』の語呂が似ているので、類似作か…くらいの感じ。前者がいわゆるファンタジー的な展開であるのに対して、こちらは歴史上の実在の人物を題材にしていますので、全く趣きの異なるものなのですけれど。

 

で、ここに取り上げられた歴史上の実在の人物というのが草野丈吉とその妻おゆきでして、長崎に生まれた丈吉がオランダ船の雑用係として言葉も料理も覚えていったことから、おゆきと二人三脚で長崎に西洋料理店を開業し、やがて大阪に展開して外国人向けのホテルを手がけていくというお話。近頃の映画でよく見かける「実話に基づく」ではありませんけれど、何かにつけ、初めて(ここでは日本初の洋食屋となってますが、食器も本格的ならテーブルマナーにまでこだわりを見せる丈吉にすれば、歴とした西洋料理店でありましょう)は映画にも小説にもしやすい題材ではありましょうね。

 

さりながら、夫婦愛(先に申したように封建的な関係ではありますが)がつましく洋食屋を切り盛りするにとどまる話ではありませんので、折々登場する歴史上のビッグネームといいましょうか、例えば五代才助、坂本龍馬、後藤象二郎、岩崎彌太郎、さらに陸奥宗光らとの丈吉、そしておゆきとの関わりがまた興味を掻き立てることになっているのですなあ。

 

近ごろは料理を扱って、読んでいきながらその料理を食べたくなってしまうような描写を盛り込んだ小説作品が数多あるようですけれど、この話にもそのような感じはありますですね。ただ、話の中で「ソップ」と言われているものが「スープ」のことであろうとは想像がつくところながら、料理や食材に関する多少の知識というか、想像力というか、そのあたりがある方なればもそっと舌なめずり状態になったのかもしれませんですよ。

 

そして、この物語のスケールをいささか大きくしているのは、先にも触れた幕末維新のビッグネームと関わって丈吉は西洋料理を作りながら、外国人に迎合するという方向とは全く逆に、日本人にも西洋人が舌鼓を打つ食事を作ることができると示すことで、立場の平等を締めそうとしていることでしょうか。陸奥宗光との関わりは、幕末に欧米列強と結ばれた不平等条約は改正されねばならんという点でもはや同志のようにもなっているのですな。そして、おゆきもまた、丈吉の思いに沿うというだけでなしに自ら条約改正の必要性を意識するようにもなるという。

 

丈吉とおゆきが作り上げたのは中の島にあった自由亭ホテル(後に大阪ホテル)で、丈吉亡き後は娘が引き継いで奮闘するも丈吉の大車輪の活動があってこそのホテルだったようす。1898年(明治31年)には大阪倶楽部に譲渡されることになりますけれど、今でも活動を続けている大阪倶楽部の沿革(同倶楽部HP)には1912年(大正元年)設立とあって、その前史にはいささかも触れていないようす。このあたりも、自由亭ホテルや草野丈吉のことが歴史の狭間に埋もれていってしまった要素なのかもしれませんですなあ。

 

真正面から歴史上の大人物を描くのもいいですが、あまりに繰り返して取り上げられると(二番煎じを避ける思いから)突飛な方向に走りがちにもなろうかと。それこそ「どうする信長」「どうする家康」ではありませんけれどね。それだけに、いささか搦め手とは思うも、取り上げた人物が忘れられていても実は一廉の存在であったとなると、描き出す方も読む方も楽しみは尽きないことになるような気がしたものでありますよ。