高原列車と言われるJR小海線で小淵沢駅から3つめの清里。ちょこちょこ出向いてはさまざまなスポットに立ち寄ってきておりますが、「ここはちと車利用でないとどうにもならんなあ」という(ひたすらに公共交通機関&徒歩頼みの者には過酷な)場所にあるのが、清里フォトアートミュージアム(略して「K*MoPA」というらしい)。今回は車に便乗できたことからようやっと訪ねることができた次第なのでありますよ。
いわゆる観光地には(こういっては何ですが)いわゆる観光客狙いとしていかにもなミュージアム的施設もままあるところながら、ここは結構ポリシーの立った美術館でもあるような。なにしろ立地からして、あまり迎合していないといいましょうか(車利用者であってさえ)。ですが、開催中であったのは「鉄道愛」と銘打った展覧会、これには鉄オタ(取り分け撮り鉄か)の方々はくすぐられてしまうでしょうなあ。
乗り鉄、撮り鉄、食べ鉄 ─ 鉄道には非常に幅広い魅力があり、楽しみ方があります。なかでも撮影と鑑賞が一体となった撮り鉄は、その究極の形。あなたも心揺さぶる“鉄道愛”の世界を覗いてみませんか。
こんなふうにフライヤーに紹介されればなおのことかと。展示室に一歩、足を踏み入れてみれば、やおらかようなジオラマが出迎えてくれたりするのですし。
しかしながら当然のごとく、眼目は写真なのですよね。それも単に写真展というのでなくしてアートであるわけで。とはいえ、普段は写真作品を見ても余りピンと来てきなかったのが、ここでは「!」と思ったり。と、言いますのも今回展のイベントのひとつとして、館内の片隅に「撮り鉄広場」なるコーナーが設けられておりまして、来場者が自ら撮影した鉄道写真を貼りだせるようになっていたのですな(写真持参で入場料が割引されるそうな)。こんな感じに。
いずれも熱量の点で劣ることのない撮り鉄の方々は言うに及ばず、何となく撮ったという方も含めて、いわゆる鉄道を被写体とした写真が貼りだされていますけれど、その多くはもっぱらに車両そのものを撮り残すことが目的となっているように見受けられたのですね。中には四季折々の風景と併せて写し込むようにしてたりはしますけれど、今回展本来の展示作品を思い起こすと「違うな…」と思えてくるのでありますよ。
そりゃ、美術館が作品として扱う、いわばアーティストの作品と比べて違わないとすれば、それはそれで「?」になりますですが、ともあれ、違いのほどがどこにあるかとなれば、一枚一枚の写真が物語性や詩情を持っているとでも言ったらいいでしょうかね。
例えば、本展フライヤーを飾るO. ウインストン・リンク (鉄道写真家のレジェンドであるらしい)の『バージニア州ナチュラル・ブリッジに到着する列車2号』(1956年)は一見したところ、先ほど言いましたように「車両そのものを撮り残すことが目的」の一枚とも思えますが、画中で眺めやる人々のうしろ姿にこの機関車への畏怖といったものが感じられたりするわけでして。
ともすると、エドワード・ホッパーの絵画作品を思い浮かべてしまったりもするような、そんな物語性が醸し出されてはおりませんでしょうか。一方で、日本の写真家(といっても、元々は国鉄マンの撮り鉄さん)による日本の情景にしても、この(ご近所路線の)小海線を写した一枚(1972年の清里~野辺山間)では、意図してこのように描いた絵画のように思えてきたりするところです。
さらに、現代的なところでは車両のフォルムにデザイン性を見出して大胆な切り取り方をした作品なども、写真ならではあろうかと思ったり。
本当に時たまながら、植田正治や、はたまたアンリ・カルティエ=ブレッソンなどの写真作品に出くわして「ああ、アートであるな」と心に刻んだことがあるものの、たいていたくさんの種類の作品が並んでいると写真をスルーしがちでもあったりしていたのですな。それではもったいないけんね、ということを清里フォトアートミュージアムでまた思い返したものなのでありました。